INTERVIEWSOctober/29/2019

[Interview]Noah -“Thirty”

 2015年に〈FLAU〉からリリースされたデビューアルバム『Sivutie』に続く、最新アルバム『Thirty』。Noahにとって、4年ぶりのアルバムとなる本作は、この間に移り住んだ、彼女の目から見える東京の情景を表現したものだという。

 それぞれの曲のタイトルには、「Intro」以外は、ファーストシングルとなった「メルティン・ブルー」やアルバムの中心的な位置付けの「像自己」に加え、「シンキロウ」「風在吹」など、漢字と片仮名が使用され、国籍を問わず様々な文化が混在し、さらにインターネットの空間が加わって生み出された独特の空間、そうした決して手に掴み取れないような場所、都市としての現在の〝東京〟──それは例えば、アナログ感あふれるエレクトロ・ディスコ・サウンド、ゲーム・ミュージック的な8bit感、存在感を持って放たれる急速なハイハット、過剰なまでのネオンサイン、深夜のロマンスに彩られたピアノ、ゆっくりと朽ち果てていくビートとシンセサイザーのコラージュ、実体の見えない希望と生温かい欲望、のような──が、Noahの精緻な音像で描かれている。(*1)

__あなたにとって、2010年代とは?

前半は、がむしゃらに走った感じ。後半は、たびたび立ち止まってほかの可能性も探りつつ、自分の嗅覚や直感を信じて活動してきたと思います。

例えるなら「作りかけのカレー」みたいな。いろんな具材を切って、料理をして、見て、煮え切らない感じです。ビーフシチューを作ろうと思ったのに、カレーのなりかけにいるような。それが良いか悪いかは、あとでしかわからないですけど……。でも、ひとつひとつ、あるときはそのときの自分の信念を持ってやったり、あるときは流れに任せてやったり。

そうやっていろいろ試しながら、なんか全然違う料理になるかもしれないけど、何となくぼんやり作っている──。いろいろ挑戦しつつ、まだ何か、こう、食べるに値しない感じの、まだ途中にいるけれど、そろそろお腹すいてきた、という感じです。

__『Thirty』というタイトルについて

6、7年前くらいに“Thirty”という文字を見てからその響きがすごい好きで、なんかかわいいと思って。いつかこのタイトルでアルバムを出したいと考えていました。数字の意味よりも、字面の雰囲気ですね。

__「メルティン・ブルー」の世界観

「メルティン・ブルー」は、アルバムが7割くらいできてから取り組んだ曲です。アルバム自体が出来上がってくると、走る曲というか疾走感のある曲が多くて、アルバム全体を見たときに、ゆったりした曲が足りないなと感じていました。

ちょうどその頃に、ミニマルな、音数の絞られた曲が偶然見ていたアニメの中で出てきたんです。それが素敵だなと思って、意識しながら自分の音に置き換えて作っていったらこういう感じになりました。ちょっと水のような、海ではないんですけど。青っぽいというか。

なんとなく水を連想させるようなタイトルがいいな、と考えていました。青く見える高層ビル群が白い霞の中に広がっている景色を眺めていたときに、都会の海の中に漂ってるような気分になったことを思い出して、そのときのイメージと音が結びついた気がします。

あとは、東京の街を歩いていてときどき見かける、「自分らしさ」を纏っている人たち。アルバム制作中に特に印象深かったのは、昭和から長年やっている近所の古い床屋さん。水色がテーマカラーらしく、小物から棚や椅子までお店のいたるところに水色が使われていて、すごい愛というか、「自分らしさ」みたいなものを感じるんです。ある日もお店の前を通りかかると、偶然店主さんが出てこられたんですが、ちゃんと水色の服を着ていたんですね。それを見てなんだか心を打たれてしまったんですね。店主の方の生き様が、カッコいいなって思って。あんまり目立つ場所にあるわけでもなく、商店街の一角で、細々とコツコツやっているところ。誰も見ていなくても、たとえ時代が変わっても、自分はこう、と意思を貫くところ。そういう静かな情熱が伝わってきたんです。地に足が着いているというか。

そういう人たちの在り方・存在から元気をもらったり、インスピレーションを受けることは数多くありました。大都会という広い海のなかでどう生きるのか、自分自身への問いかけや、葛藤を反映した曲だと思います。

__「自己像」ではなく「像自己」?

これは中国語で「自分らしさ」という意味で、わざと日本語を間違えているわけではないんです。もう一つ、アルバムの大きなテーマに、東京に来てからの刺激を形にしたみたいなところがありました。東京は実際住んでみたら結構ぐちゃぐちゃで。きれいなところはきれいだけど、例えば、歩いていて自分の視界の中とか写真を撮ったりすると、道路と家とビルと電車と高速道路とが、一つに全部入ってしまう。それが田舎とはすごく違うな、となんとなく感じていました。

未来都市が舞台になっているアニメをよく観ていたんですけど、実際の東京のぐちゃぐちゃした感じとある日突然リンクしちゃったんです。それでゲームっぽいエネルギー、ピコピコした感じとか中華街の活気とか、がやがやぐちゃぐちゃがリンクして、このアルバムのイメージがいっぱい膨らみました。

いつもは英語を使うことが多いんですけど、中国語や日本語、ヨーロッパではなくてアジアというところに結びつきました。だからアルバムのタイトルも曲のタイトルも全体で見たときに、なんとなくそういうごちゃごちゃ感とか東京で感じたエネルギーや雰囲気がパッと見て伝わるようになっています。ひとつひとつの意味ではなくて、全体を見たときの雰囲気を感じ取ってもらえたらなと思います。

__ヴェイパーウェイヴ

ヴェイパーウェイヴ……。私にとっての青春でしょうか。青春で、味があるもの。使い古したお気に入りの小物とかみたいに。どこか血が通ってる感じ。最近のものであればあるほど愛を感じないというか、その時代の人たちは別になんとも思ってなかったでしょうけど。青春が詰まっている感じがするのは、たぶん時代だと思います。昔の時代、好きなんですよね。どこか真っ直ぐで。ヴェイパーウェイヴのローファイさもそれと一緒です。ノスタルジーとヴェイパーウェイヴ。ただ懐かしいじゃなくて、いい思い出として懐かしいなって思います。私もギリギリ昭和を経験しているので。

__虚構としての東京、東京のリアリズム

虚構としての東京は、素敵に見える。でも実際の東京は、もちろんそれだけではないと感じる部分もあります。影の部分もいい感じにも見えるけれど。

アルバムは、受け取ったエネルギーから連想したイメージを形にした感じなので、受け取ったエネルギーの中で、自分が掬いたいところだけ掬ってはいるんですが、良いところも悪いところも入れた感じになっていると思います。

__デビューアルバム『Sivutie』との違い

例えるなら、『Sivutie』は絵画を描いたような感じです。頭の中で想像した世界観や、その中にいた人物に同化して風景や心情を描いていった。それに対して『Thirty』は少し日記みたいな側面があります。自分がリアルに体験したことと、その体験から湧き上がってきたイメージやインスピレーションが頭の中で合わさって、一つの世界観に繋がりました。その中で得た感覚や空気を書き留めたいという衝動で作っていたようなところがありますね。日記に文章を書く代わりに音で書いた、といったところでしょうか。

音楽は、ときどき自分の言葉に成り代わる言語のようなところがあるなって昔から思っています。誰かに自分の言いたいことを言っても上手く表現できないし、ちゃんと伝わることの方が少なくて、ストレスに感じたり、ときには伝えるのを諦めてしまうことさえあるんですが、ピアノを弾いている時間は表現が自由になるというか、痒いところに手が届くみたいな。こちらの方が全然自分の言いたいことを言える感じがしていました。

それは大人になっても一緒で、言葉よりも音の方が的確に表現できることが多いんです。言葉だと、あそこの道をあの時間に歩いたときの空気感、と言っても受け取る相手によって正確に伝わったり、伝わっていなかったりするけれど、音楽だとそれがもっとしっかり空気の粒子まで説明できる。質とかオーラとかまで説明できるような的確さがあります。

もちろん受け取る人によって全然違うイメージを持たれてることの方が多いんですけど、伝わるかどうかよりも、自分として言いたいことを表現しきれることにとても満足します。気持ちがスッとするというか。でも、実際感想をくれる人の中にときどきバッチリ同じ感覚を受け取ってくれる人がいたりして、言語として機能していると確信することがあるんですよね。一つのコミュニュケーションが成立したと思える瞬間は素直にうれしいですね。

話が少し逸れましたが、今回の『Thirty』はそういう意味で、日記に日々感じ取ったものを書き留めるように曲を綴った感覚がありました。

__2015-2019という4年間

いつも作品を作っていて、3つ先くらいまではもう次のプロジェクトの構想がふんわりあるんです。全然計画通りにいかないんですけど。『KWAIDAN』のときも、ソロプロジェクトを進めようとしていたときにRepeat Patternと出会って、彼との遊びが発展して少し寄り道をした感じなんですね。実は、『Thirty』もまた自分の中では、寄り道プロジェクトのひとつで、上京してからしばらくして突然東京の気分に動かされてしまって、作りたくなってしまったものなんです。

「像自己」を3年前に作ったんですが、これをとにかく出したくて、アルバムを作ったんです。一曲じゃ世界観が表現しきれないな、と思って。この曲を最初に作ったきっかけが、Repeat Patternの家に遊びに行って、遊びながら色々寄り道しながら曲を作っていた時に、彼に何も考えないでやってみよう、適当にやってみよう、て言われて、その言葉が自分の家に帰ってからも残っていたんです。「自分らしさ」は出そうと思って出すものではなくて、滲み出てしまうものというか。当時アーティストとしてどういう風にこれからやっていこうか考えていた時でもあったので、家に帰ってすぐに適当に作ってみたのが「像自己」でした。

普段だとメロディを何度も弾いたり、確認したりして、言葉も考えてからやるんですけど、これは本当に何も考えずにいきなりレコーディングしたものを採用してみたりとか、積極的に今までとは違う方法で制作しました。彼(Repeat Pattern)の一言で結構やってみてもいいかもっていう気持ちになってやったので、そういう意味で彼の存在はすごく大きいですね。

最近はいつも軽い気持ちで作り始めて、結果数年経ってしまっていることが多いので、困ったものだなって思います(笑)。

__移住すること

移住は大好きです。引っ越すと、その日から次どこに引っ越そうかなとか考えてしまいます。根を生やすっていうのが苦手なのかもしれません。実家が転勤族だったので、道内でもそれ以外でも引っ越しは何度かあったのですが、場所が変わると、心もリセットできました。引っ越しのたびに、脱皮するような新しい気持ちになれる感覚があります。抱えるものが多くなると整理して、いつも身軽でいることが好きなので、きっとそれが自分を保つためのバランスなんだと思います。

北海道は私にとって大切な場所です。やっぱり一番自分の感受性が高い時期に過ごした場所なので、いろんな初めてのことをたくさん北海道で経験して過ごしているので、高校、大学、社会人の最初と、記憶が薄らいでいくなかで、すごく強いんですよね。北海道時代は、悪いこともあるけれど、今は良い思い出になっているというか、全部プラスに感じます。曲もなんか寒い感じがするってよく言われます。それは別に意識しているわけではなくて、なぜかはわからないんですけど。

今は、少しだけ田舎にも興味があります。田舎育ちなので単純に都会はちょっと窮屈に感じます。自然が少ない分、五感や本能が鈍りやすいのも感じます。でも、都会の良いところはいろんな人との出会い。新しいものを生み出すのに貪欲な人が多くて、そういった刺激的な人たちと簡単に直接出会えることは、田舎とは大きく違います。それはとても貴重なことだと思っています。

__2019年について

時代の変化だったり、世の中の変化だったりがより顕著に、表面に出てきて変化を認めざるを得ない感じがします。地球の変化、世界の変化とか。日々関心がある身近な事柄も『Thirty』には反映されています。空想の世界だけというよりは、現実とどこかリンクしていて、リアルさも珍しく取り入れました。作品の方向性として「今出すべきもの」を考えると、その方がしっくりくると思ったからです。

例えば「Intro」は、ちょうど選挙のときに国会前でデモをやってる人のYouTubeのライブ映像の音を消して、流しながら曲を仕上げていました。なんとなく、リアルな緊迫感や少し異常さが漂う、イントロにしたかったんです。

__2020年から始まる次の10年

時代は止まることなく変化するだろうけど、その中で、音楽とどう向き合っていくのかまだわかりません。手探りしながら、でも、作るべきものは作り終えて、しっかり「自分の世界」を創っていけたらいいなと思います。そこから何か感じ取ってもらえたらうれしいです。コンポーザーが作る場所、リスナーが聞く場所、物理的には確かに違うし、タイムラグもある。それでも音楽を聞いている時間は、上手くいけば同じ場所に行って同じ景色をみてるんじゃないかって、ときどきそんな気がするんですよね。一方的にそう勘違いしてるだけかも知れないですけど。お互いに、作りながら、聞きながら交流できてるんじゃないかって、どこかで信じています。そんな音楽の中での交流を密かに楽しみにしつつ、これからもひとつひとつの作品を自分なりにベストな形で表現していけたらと思います。

(2019.9.21, 東京・青山にて)

*1 罫線内の説明部分は、〈FLAU〉のプレスリリースより引用。

Thirty:
1. Intro
2. 像自己
3. 夢幻泡影
4. 18カラット
5. メルティン・ブルー
6. 愛天使占
7. シンキロウ
8. 風在吹
9. 像自己 alternative ver.

インタビュー・文:東海林修(UNCANNY)
編集アシスタント:金子百葉, 今田太一, 海老秀比古, 土用下歩未, 宮脇らら(UNCANNY, 青山学院大学総合文化政策学部)