ARTIST:

Madegg

TITLE:
Kiko
RELEASE DATE:
2013/04/27
LABEL:
Day Tripper Recods
FIND IT AT:
Amazon
REVIEWSMay/14/2013

【Review】Madegg|Kiko

 Madeggの創りだす世界観というものは、私達が見ているものより、少し幻想的で、抽象的な表現に満ちている。そして、芝生に寝そべり薄目を開けて見ている青空の様に、その音像は、どこかが霞んでいて、どこかがぼやけている。その微妙な霞み、ぼやけこそが、私達がMadeggというアーティストに惹かれる理由の一つなのではないだろうか。

フィールド・レコーディングやサンプリングを駆使し音像を構築するMadeggの音は、ダンスミュージック的な起承転結というよりも、一つのシーンを切り取って表現する映画音楽の様な趣がある。彼の前作であり、高知にある彼の実家のベッドルームにおいて短期間で制作された『Tempera』の収録曲「Tou Mei」の映像は、車や電車の窓から移される風景、道路の風景などが淡々とコラージュされている作品である。この切り貼りされる映像の隙間には、何か「透明」な存在が見え隠れしている。それはMadegg本人かもしれないし、若しくは、この映像を見つめている我々なのかもしれない。

 『Kiko』は『Tempera』と比較して、2ステップやUKガラージに影響を受けたような楽曲が散見される。それに対し、曲の展開自体はダンスミュージック的な色付けはされておらず、やはり映画音楽的と言えるような展開のミニマル性が色濃く残っている。Madeggの音楽は、この映画音楽のような特性と、印象的な風景を後から思い出すような特有の恍惚感でもって、私達の原風景や奥底に眠る記憶にコミットし、それらをゆっくりと思い出させる。その象徴とも言えるのが、アルバム全体を通じて鳴らされるオルゴールやベル、鉄琴といった音色である。曲の中で、子守唄のようにループされるそれらのメロディーは、深く我々の記憶に作用し、無垢で、ある意味残酷だった幼少期の我々を思い起こさせる。

 アルバムの中身を追ってみる。静かなメロディーのループから、ノイズ、ビートが心地よく入り込み進行する「Quiet / Marble Camouflage」から始まり、「Spider」「Fall」といった明るくも物静かな楽曲が並べられていく。ノンビートでミニマルに展開される「Orange Went To Yellow」を通過し、6、7曲目の「Throwing A Floating Gum」「The Central,Dogs and Plastic Friends」ではMadeggのもう一つの側面である暴力的なノイズ、攻撃的なシンセサウンドやサンプリングが登場し、アルバムにアクセントを与えている。テクノ風のリズムをモチーフに展開される「Mars」や、心地よく刻まれるビートが印象的な表題曲「Kiko」、初期のMadeggを彷彿とさせるコラージュ主体の「Good Funny Night」といった楽曲が続き、最終曲「Cobalt」ではダンスミュージック的方程式に則ったMadeggのサウンドを聞くことができる。

 『Kiko』は壮大なストーリーを表現するのではなく、また、15曲を無作為に集めた作品集でもない。一曲一曲がそれぞれの風景を持ちながら、それぞれの均衡を崩すことなく、アルバムの中に必然的に収まっている。この全体の雰囲気を支配するのは、Madeggが持つ世界観、言い換えるなら、彼が見つめる日常、または空間であろう。

 Madeggは以前よりフィールド・レコーディングを行い、彼自身の作品にフィードバックさせている。フィールド・レコーディングのように、ある空間から音を取り込む行為には少なからず偶然性が発生してしまう。つまり、その空間において発生するアクシデントを完全にコントロールすることは出来ない(録音後の編集は可能であるが、それにも限界がある)。しかし、それこそがフィールド・レコーディングの醍醐味であるのは、それを実行した者が最も実感していることであろう。

Madeggも過去に『Players』をリリースした日本のネットレーベル<分解系レコーズ>には、フィールド・レコーディング作品も多数公開されている。その中でも2011年に発表された『鷲宮Feel Recordings』は、アニメ作品のモデルとなった神社に赴き録音された音源であるが、作品としてまとめられているのは、勿論アニメを彷彿とさせる音声ではなく、鷲宮神社という空間が持つ日常的な風景である。一見、現実と作品とを剥離させてしまっているように見えるが、逆に、その日常的な音声がアニメ作品の世界観を強固なものとし、アニメを視聴する人々を作品への更なる没頭へと導いているのだ。フィールド・レコーディングによって録音される音声は、ただ鳴っているのではなく、その空間をバックグラウンドにして鳴らされているのである。

 Madeggの作品に戻るが、彼の楽曲には、空間から録音された音声があからさまにそれとわかる様に使われているわけではなく、むしろ『Kiko』においては更にそれが希薄化された様に思える。しかし、空間を切り取るという行為そのものは更に洗練されたように感じられる。『Kiko』の持つ空間性は彼の暮らす京都と彼の故郷である高知という2つの場所に基づいている、というのは、先日のインタビュー記事において記述した通りである。つまり、フィールド・レコーディング的な行為でもってMadeggの見る日常が記録、編集され、一つ一つの楽曲としてコンパイルされたものが『Kiko』ではないだろうか。

Madegg自身が『Kiko』のリリース前に公開した映像「Throwing A Floating Gum (Slow Lips)」には、京都を流れる鴨川が撮影地として利用されている。Madegg本人も制作に参加しているこの自主制作映像こそが、Madeggが音楽を通して見つめようとしている空間に近いものなのかも知れない。

 インタビューでは音楽活動の小休止をほのめかす発言をしていたMadeggであるが、2013年5月の時点で、『Kiko』以降のものだと思われる楽曲が数曲彼のSoundCloudにアップされている。『Kiko』路線の楽曲や、更にダンスミュージックへと純化された新機軸の楽曲などがアップされており、今後の活動にも期待が出来そうである。筆者は考える。人間にとって呼吸が普段意識されないものであるのと同じように、彼の音楽は思いがけない瞬間に、自然な形で彼の日常に登場するのではないだろうか。普段の空間に即した彼の音楽は、日常のふとした瞬間に静かに鳴り響く。そしてそれは、Madegg本人にとっても同じ事なのだろう。

文:和田瑞生
1992年生まれ。UNCANNY編集部員。ネットレーベル中心のカルチャーの中で育ち、自身でも楽曲制作/DJ活動を行なっている。青山学院大学総合文化政策学部在籍。