INTERVIEWSMay/30/2017

[Interview]tofubeats – “FANTASY CLUB”

 メジャー3作目、『lost decade』から数えると4作目のスタジオ・アルバムとなるtofubeatsの最新アルバム『FANTASY CLUB』。筆者は、今回のインタビューの予習として、インターFMの「Maltine Radio」、Red Bull Studioから配信される「ポコラヂ」への出演時の放送を注意深く聞いていた。そこでtofubeatsが語ったのは、例えば、今回のタイトル「FANTASY CLUB」は、「ポスト・トゥルース」を言い換えたものということ、音源の聞こえ方の確認のためにこれまで行っていた東京、神戸での確認だけではなく、神戸よりもさらに先の郊外へとドライブしながら車中で音源の確認を行ったということなど。すなわち、tofubeatsの代名詞でもあった「インターネット」と「郊外」というキーワードが、今作でもかたちを変えて関連していると理解することができた。

 本作は、前のメジャー二作とは明らかに異なる様相を見せているのは一聴してわかることである。tofubeatsが以前から抱えていた「インターネット」と「郊外」というテーマについて、どのような捉え方の変化があったのか。以下のインタビューでは、筆者によって同じような内容の質問が繰り返されている部分がある。それに対しtofubeatsは、発言に一貫性を持ちつつ、より噛み砕いて説明しようと試みてくれている。

__メジャーでのこれまでのリリースのペースと異なり、前作『POSITIVE』から今作のリリースまで期間が空いたのはなぜですか。

様々な理由があるのですが、契約を更新していたり、事務所を独立していたり、広告の仕事をたくさんしていたり、アニメの仕事をしていたりと複合的な理由です。実際にリリースすると予定していた時期よりもさらにもう少し遅くなってしまいました。

__『POSITIVE』と比較して、今作における自身の環境の変化などはありますか。

まず、事務所が独立したというのがあって、関係する人、チームの人数が減りました。直接関わる人が減るというのは、ある意味自分の中で社会性が減ったという意味でもあって、作業している時に関係している人の顔が見えてくると作るものが自ずとそんなに範囲を広げられないというか。

例えば、100人関係している人がいたら100人喜ばないといけないって思うんですけどそれが減るとそんなに風呂敷広げなくてよくなるっていう。関わる人数が増えるほど、ある意味挑戦的なことってやりにくくなると思っているんです。

外の仕事もたくさん行なった後だったこともあって、不特定多数の人にいいって言ってもらわなきゃいけないというようなプレッシャーはそんなにかけられないでやらせてもらえた時期だったんです。だから、結構伸び伸びと作っていて、そこが一番内側の気分にも作用したし、環境的な要因でもあるかなと思います。

__『POSITIVE』以降の環境という意味で、例えば自身のホームグラウンドでもある〈Maltine Records〉周辺のシーンについてはどう考えていますか。

Maltineはある程度は形になって、みんなでわいわいするというか、みんなをステージに上げて騒ぐみたいなところができている。だから、ここから先はそれぞれ頑張っていかなきゃいけないなというのはすごく思っています。

ある意味そういうところに対して自分は結構序盤から頑張っていた方だと思うんです。そうやってみんなを引っ張り上げたりとか、自分が頑張って上に上がっていく、自分の名前が売れていっても昔友達だった人と一緒にできるように頑張る、というのは自分にとっては大事なことでした。それが今みたいにできるようになったから、そこからはそれぞれ頑張ってもらって、自分は自分の事をやろうみたいな雰囲気にはなってきています。

それに加えて、〈Maltine Records〉のようなネットを使って上がってきたことに対する返答じゃないけれど、それって結局どういうことだったかというのは結構今問われていると思うんですね。上がってきてとりあえず軌道に乗るまでは行ったと。そこから先も軌道に乗るっていうのがインターネットで注目されていた側面じゃないですか。そこから先にインターネットで受けてきた影響ってどうやって出てくるのっていうのを見ている人も思っている気がして、そこに対してしっかり応えていかないというのはありますね。

__その〈Maltine Records〉がホストを務めたインターFMの「Maltine Radio」に出演した際に、タイトルの「FANTASY CLUB」は、「ポスト・トゥルース」という意味合いだとおっしゃっていましたが、詳しく聞かせてください。

メディア・リテラシーみたいな話ですよね。確か、2016年の年末頃にオックスフォード辞書の「今年の言葉」みたいな感じで、BBCのニュースで見たのが最初です。僕はそこでこの言葉を知って探っていく時に、哲学的な意味ではなくてこれはメディア・リテラシーの話だと思ったんです。インターネット的なこととの向き合い方のトレンドみたいなものだと捉えています。

『WIRED』の編集長は「みんなが直感でものを決めていく時代」と言っていたんですけど、インターネットで世論ができていく2016年あたりのトレンドがポスト・トゥルースっていうことだったのだと思います。これに関して揶揄っぽいのが日本で見られて、それが全然違うなと思ったんです。トレンドだから、みたいな。ポスト・トゥルースというのを揶揄するツイートが上がってくることによってポスト・トゥルースが悪いことなのだと思うこともポスト・トゥルース、みたいな。ややこしいですけど。

そういうのを雰囲気として置いておきたいな、と思って今回のアルバムを作りました。ポスト・トゥルースという言葉をそのまま僕が使ってしまうと、揶揄しているように取る人がいると思うから言いかえたくて、というところから「FANTASY CLUB」というタイトル、テーマが始まっています。

__少し難しいテーマですね。

果たしてこれ(ポスト・トゥルース)がいいことなのか悪いことなのかっていうのは、僕にはわからないんですよ。ただ、わからないっていうことに対してちゃんと思ったことを置いておく、みたいな感じですかね。だからこれに対する回答を出していろんな人が「ふむふむ」と思うのではなくて、自分が今この時に思ったことを置いておこう、と思ったんです。回答を出すのも難しいなと思ったので、せめて雰囲気で逃げたりとかはせずに、こういう問題に対してちゃんと正面から考えて思ったことを置いておこう、みたいに思ったんですよ。

__アルバムの中の楽曲では、どういうところに現れていますか。

「SHOPPOINGMALL」とかもそうで、攻撃的と言われることがあるんですけど、攻撃的な歌い方なだけであって歌詞は全然そうではなくて。あれも「決めたいけど決められない」というようなのを表現できないかな、と思って。でもあの曲を作ったことによって結構方向性が決まってきて全体的にそれができるようにしたいなと思いました。

__ポスト・トゥルースの定義の中で、ネットにおける感情の発露というのがあるのですが、それに対してどのように思っていますか。要するに根拠がなく感情をどんどん発露するというのがインターネットの元々のもので、それが行き過ぎると自分が信じているもののみを信じてしまって、自分の自己形成が固定されてしまうことが問題だと言われるようになりました。

そうですね。元々インターネットに対して思っていたことは、インターネットで感情を発露するときは周りに見えざる手じゃないですけど、メディアを信用しないということではないのですが、良いものが正当に評価される未来がくるぞみたいなことが最初にインターネットに思っていた信頼感であったりロマンだったわけです。

それが違うとなってきたのが今の時代じゃないですか。感情を発露させればさせるほど今度はだめになっていく、みたいな。でも、それは嫌だし、こんなのは違うって思うんです。ただ、それをインターネット上で証明する手段がないんです。今回のアルバムはそこに端を発しています。自分もその中にいるし、その恩恵をあずかっています。僕のことを見ている人はポスト・トゥルース的な目線というか、僕が思っている以上にいい風に見えるみたいな、そういうものがドライブされたことによってメジャーに入れてということも大いにあると思うんです。逆もあるかもしれないですけど。

そういう時にそれを全く揶揄する立ち位置でもなければ、でも違うという思いもあるし、でもそれを証明することもできないし、という。そういう気持ちというか、そこをアルバムにまとめてみようと思ったんです。

__音楽とかってある意味感情そのものだと思うので、それをポスト・トゥルースと揶揄されてもまた困りますからね。

そうなのですが、音楽に乗せてそれを出さなきゃいけないっていうジレンマじゃないですけど、アンビバレンスな気持ちというか。でも自分はずっとここ(インターネット)に乗せてやっていたんだなというように、自分はこれの恩恵にあずかってきたと言ってきたけれど、自分のあずかってきた恩恵というのが本当はこれだったのかと突きつけられた時に、僕たちは解答を出さなきゃいけない立場だと思うんです。特に〈Maltine Records〉のアーティストとかは、と僕はそう思います。こういったことが今回の全体的なテーマで、それを人に歌ってもらう曲でやるのは、僕は卑怯だと思ったんです。だから自分で歌う曲が多くなったということもあります。

__なるほど。また、同じく「Maltine Radio」で、前作までオムニバス的な内容で制作していたけれども、今回は一枚のアルバムとして制作したとお話しをされていましたが、その意図を教えてください。

先ほど言ったようなコンセプトが序盤の段階で固まっていて、自分で歌うということがわかって、アルバムにしようとなった時に実は曲も割と手元にあったんです。ただ、テーマが決まった時にアルバムを通して一時間にしないとな、と思ったんです。

それと、インターネット的な発想と逆のところをしなければいけないので、1曲単位とかサマリーじゃなく全部を聴いた時に別の魅力を感じてもらえるようにしないと表明にならないなと思って。だからシングル単位で今出ているものを聴いた時とアルバムで聴いた時に印象が変わるようにしないといけない。となるとアルバムは全体として起伏のあるものにしないといけなくて、且つインターネット的なものに対する反発じゃないですけど、長く聴けるようにできている、、、、、、、、、、、、、みたいな、全体的な流れの制御プラス、曲が繋がるごとに前の曲とちょっと繋がっている、というような二重の仕掛けをしたいなというのがありました。

__また、ジャケットは何をイメージして制作したのでしょうか。

今回「FANTASY CLUB」というタイトルはオーダーの時には決まっていて、音源も6割くらいできていました。今回は抑制が効いたものにしたくて、人が大きく映っていなくてもいいです、そしてオシャレにお願いします、と頼みました。それはどういう意味かというと、これはこうやった方がいろんな人が見るなというのと、最近だとiTunesでは小さくなるから顔を大きく映した方がいいというのがあるんですよ。でも本当に自分が選びたい方を選んでくださいという意味でもオシャレなチョイスをしてくださいという風にお願いしました。

__ここで言うtofubeatsさんのオシャレの定義は何ですか。

(グラフィックを担当したGraphersRockの)Tamioさんと(イラストを提供したイラストレーターの)山根さんだけはわかってくれるという意味でオシャレという言い方をしたんですけど、基本的には筋が通っているみたいなことです。今このアルバムを聴いて思う「オシャレ」をお願いします、といった感じです。世間と逆ということでもないんですよね。裏付けがある、というか。

__個人的には、大人っぽいイメージに見えました。

大人っぽいイメージというよりは、やらしいくらいにファッションのDMみたいに作ってくださいとかいうオファーは出しました。でもそれは単純にイメージが変わったことを出したいだけで、アルバム全体の作り方としては『lost decade』の時くらいの気持ちで作ろうということで、むしろ前に戻っているという感じですね。

要するに社会性みたいなのは後で考えればいい、まずモノを自分の好きなように作ってそれを売れる形で売ってくれたら、みたいな。例えば、今回はポスト・プロダクション的な部分で、ビデオとかにはそんなに肩肘張っていないような順序に戻そうと。大人っぽいというよりは、自分的にはアートワークがアルバムにしっくりきていると思っています。

__もうひとつ気になっている点を。最近、okadadaさんなど関西のアーティストの方々が、東京へ移住していますが、今でもtofubeatsさんの拠点が神戸であることには理由はあるのですか。

そんなにたくさんはないのですが、自分が生まれたところというのがまずあるのと、地方にいれば東京に行くことはあっても、東京にいて地方に行くことって絶対減っていくので本当に地方でやりたいと思っていたら地方に住んでいた方がいいと思っています。

最終的には東京に出て行くのでもいいかもしれないですが、神戸にいた時、最初自分が東京に対して面白くないなと思っていたものにならない自信が本当にあるのか、と思うんです。また地方にいない人に地方のことを語るのは絶対に無理だし、ある意味地元に文句も言いたいから、文句を言いたいんだったら東京に行くべきじゃないというのもあります。家族が住んでいるからというのもありますし、そんなに大それた理由ではないけれど、みんながみんな東京に行ってしまうというのには違和感はあります。自分のようによっぽど固執してない限りは他に選択肢が無いのはわかるので、いろいろ考えますけど。

__元々、ローカルというのがtofubeatsさんの中では重要な概念だったと思いますが、前作までは、東京と神戸でアルバムの確認作業を行っていたのが、今回は、神戸以外のさらに郊外でもアルバムを車の中で聴いてみるといった確認作業をしたと話されていましたが、どのような意図なのでしょうか。

クラブミュージックだから都会に合わなければいけないというのが今回は嫌だと思って、自分の住んでいるところで一番フィットするようにしようと変えていったんですね。これまではいろんな人に聴いてもらおうと思っていたので東京のホテルで聴いたり歩きながら聴いたりしたんですけど、今回は冷静に判断することを大事にしたし、何より『lost decade』の時の気持ちに戻そうと思ったら自然とそうなっていきました。

__特に、ラストのフィールドレコーディングは、地元の神戸の音であったり。

そうなんです。実は東京でも録ったんですが使わなかったんですよ。結局神戸の音だけになりました。

__自分の気持ちがさらに回帰しているというか、東京にたくさん出てきている中で、より一層郊外がアイデンティティの核になっているのはなぜですか。

事務所を東京にも借りた時に、なんとなく、このまま東京に住むんだろうなと思っていたんですよ。でも2年くらいたって、移住していないんですよね。いろいろあるにしても、これにはきっと大きな理由があるはずだと僕は思うんです。東京は好きだし、慣れたし、嫌ではないのですが、仮に東京が住所になっても別のところがないとヤバいなって逆に思うようになってきて、それが出ているとは思うんですけど。

東京にいて東京に馴染むことはできても東京って互換性がないと思っていて、例えば東京で売れているバンドが降りていくという形で地方に行くことはできても、もう上に上がっていくことはない、みたいな。神戸にいると別の地方には同列のものとか、自分たちが同じようなところに行く気持ちでできて、且つ東京には上がっていく形でできる。モノを作る時もそうで、東京にいると、東京から降ろしていくという考え方に絶対なってしまうなと思うようになってきて、そういう思想が危険だなと思ってしまうんです。

東京のアーティストとかを見ていて、地方で聴いていると、東京に合わせて作られたものが降りてきている感じがどうしてもするんですよ。だから、それが自分は嫌で、自分はそうなりたくないんだなって思います。

__降りてきている、というのは?

降りてきている、というのは、例えば、東京で流行っているものという感じで大阪に来るみたいなものです。東京だけ意識していれば回っていくみたいな考え方は、僕はあまり良くないと思っています。東京みたいな所は日本には他にありませんから。でも東京じゃない所は沢山あります。

僕はそっちを参照したい気持ちがあるし、そっちを参照してもし上手くいったらどういう所でも頑張れるけれど、東京に合わせてやっている人が上手くいっているだけの世界だったら、音楽を地方でやっている人は救われないじゃないですか。自分は神戸でずっとそう思っていたんですよ。もし神戸でうまくいかなかったら、せつないというか、自分みたいにうっかり神戸で音楽好きになっちゃった人とか可哀想すぎませんか? 頑張って地方でやっていれば東京に行って東京の若い人にも影響を与えられると思うし、地元の人にも影響を与えられますからね。岡山でレギュラーイベントをやっているのもそういう意味があります。東京に住んだら尊敬のような気持ちを忘れてしまうような気がするんです。

__そのような考え方を一番体現しているのは「SHOPPINGMALL」ですか?

そうですね。それと「YUUKI」とかもそうですね。

__もう少し詳しく教えてください。

ずっと行き来して作っているので、例えば一週間東京にいた後、地元に帰ってレンタカーでショッピングモールに行った時の気持ちたるや、ヤバいものがあって。何でそこに行くかというと、東京の生活を忘れようとするんです。今日みたいにこういった青山のカフェに来るみたいなことは、日本で東京でしかできないことなんですよ。地方にいる人は毎週週末に地元のショッピングモールに行くことしかすることがないというようなことを、帰ったら肝に銘じに行くような感覚です。そういう時に自分の音楽があったらいいな、自分の昔の時に施せるようなものができたらいいなというのがあって。そういう人に、ある意味寄り添えたらいいなというのもあります。

__地方都市に住んでいて感じることを表現しているということでしょうか。

そうですね、距離感みたいな。でもそれはどこにいてもそれは同じで、無い物ねだりという意味では東京の人と一緒の部分もあるのかなとも思います。でも自分にとってのモチーフは郊外とか地方都市にあるものだと思います。

__tofubeatsさんにとって、郊外に行くことの大事さとは何でしょうか。

レンジがあるということを忘れがちというか、毎週クラブイベントがあって、そこに人がいっぱいいて自分のライブをしたら客が入ってお金がもらえる、そんなことは当たり前ではないというか。そんなことを忘れがちで、それを忘れた瞬間から人はダメになっていくと僕は思うんです。だからそれを忘れない一番簡単な方法は、それがないところに行くことだと思っています。

__画一化されたサービスというものはダメなのかもしれないけれどやはり好きだ、といったことがアルバムのテキストにも書いてありました。

なんとなくそれを批判したくなるのですが、自分こそその申し子というか。自分たちはその恩恵にあずかっているけれど、これが果たして正解なのかわからない。インターネットは早く軋んでくれたから見えたけれど、これから郊外も高齢化などの要因で崩れていくだろうし。両親や祖父母がいるから神戸にいてあげたいなと思うのもありますし。東京にいると忘れてしまう生活のリアルが神戸にはある。音楽というのは本当の生活と絶対に繋がっているし、地方の方が人はたくさん住んでいるからそれに目を向ける方が未来に繋がっていくのではないかな、とも思っています。

__ありがとうございます。まだまだ他にも作品について聞くべきことがあるかと思いますが、いろんな疑問が解けました。最後に、今後の活動の展開を教えてください。

今年からは台湾を手始めに、アジアからちょっとずつ海外に行こうかなと思っています。あとはこれまで通りにいい曲を頑張ってたくさん作ることですね。それと、『FANTASY CLUB』を作ったので、ポップなこともさらにしやすいという感じなのでまたゲストを呼んで制作するのもいいのかな、と。でも、今回アルバムを作る時に、クラブ・トラックとか入れていない楽曲もあるので次にリリースしていけたらいいなと思っています。

FANTASY CLUB:
01. CHANT #1
02. SHOPPINGMALL (FOR FANTASY CLUB)
03. LONELY NIGHTS
04 .CALLIN
05. OPEN YOUR HEART
06. FANTASY CLUB
07. STOP
08. WHAT YOU GOT
09. WYG(REPRISE)
10. THIS CITY
11. YUUKI
12. BABY
13. CHANT #2 (FOR FANTASY CLUB)

All Track produced by tofubeats 2015-2017
ゲストボーカル: YOUNG JUJU from KANDYTOWN(M3)/ Sugar me(M11)
参加ミュージシャン: Kaho Nakamura (M5,M8,M13)、KASHIF(M8)

インタビュー・文:T_L

アシスタント: 加来愛美
1997年生まれ。福岡出身。青山学院大学総合文化政策学部在籍、音楽藝術研究部に所属。