ARTICLESMarch/27/2018

[Interview]”ツァイトガイストを探して” Nukeme × Houxo Que × LLLL (Part.3)

Part.2からのつづき)

LLLL:フォーエル……東京を拠点とするプロデューサー/音楽家 https://soundcloud.com/lllltokyo
Nukeme……ファッションデザイナー/アーティスト http://nukeme.nu/
Houxo Que……美術家 https://twitter.com/quehouxo

資本主義と芸術の入り組んだ関係

LLLL: 最後に。僕が音楽家として聞きたいなと思っている事があって、お二人は、芸術家、アーティストというくくりで制作されていて、さっきもちょっと話に出たんですけど、今は資本主義的な意味でもSNSとかインターネットがすごく整理されてきている、カオスの残り香みたいな、昔のそういうものが整理されてない時の話もさっきしましたけど。

なんか二人とも見て思うのは、Nukemeさんだったらさっきのウィンドウズの作品でもいいんだけど、あと正直いいなと思ったのはPayPalの作品とか、壊す、まさに経済の仕組みとしてのPayPalみたいな意味は当然あると思うんですけど。例えばQue君でいうと、イブ・サンローランの作品だったりとか、レストランの作品だったりとか。すごく商業との関わり、二人ともいろんな意味であると思うんですけど、単純に作品ではなくNukemeさんはデザイナーとして服を作ってらっしゃるとか。で、僕も今は基本的にCMがすごく大きな収入になっていて、すごく近いところがあって。

資本主義とアーティストって昔からウォーホルでもリチャード・プリンスでもジェフ・クーンズでも、資本主義とどう向き合うのかってアーティストとしてすごく大きい。なので、改めて2017年的にインターネットとかのフィルターを通してどういう風に資本主義と向き合ってるのかなっていうことを伺いたい。

(参考資料: 安部雅延「賛否両論のクーンズ」(Art Annual online, 2015))

Nukeme: PayPalの作品は、経済との関わり方っていうのもあるんですけど、さっきも話してくれた、クラウドで管理されてる0と1のデジタルデータみたいなのも、ほんとは物理的なハードウェアで支えられてるんだぞっていうのがあの作品のテーマで、だから結局そのPayPalのシステムがいかに完璧でも、物理的にサーバー室を破壊したりとか、ヒューマンエラーが起こるみたいな脆弱性には抵抗できないっていう、そういうことがテーマです。最も堅牢なシステムのひとつであるPayPalを、物理的にクラッキングするという、ある種、呪いのわら人形みたいな作品です。

Nukeme – “Broken PayPal”(2014)

その一方でプロダクトとして洋服作ったりもしてるんで、やっぱ経済との関わり方はいつも考えることではあって。ピュアに啓蒙行為だけとして作品を作ってるわけではなくて、実際的に資本主義に介入してるみたいな感覚も多少はあるんですけど。作品も売ってるし、展示すればギャラももらうし。でも洋服作ってて僕が一番やばいと思うのは、そこら中の人が服を着てるってことと、作品なのに洗濯機にぶっ込めるっていうことです。キャンバスとか写真とか洗濯機にぶっ込めない、洗濯機で洗える作品って洋服だけなんじゃないかなと。そこはずっと面白さを感じてます。

Houxo Que: 僕は元々グラフィティ、その後はストリートアートやライブペインティングから来てるので、これらってアカデミックや既存のアートワールドの制度の中に評価システムがないので、資本の中で、資本の原理で評価されてたんですよね、どこまで成功したかみたいなところ。ストリートアートのわかりやすい合法的な社会での成功モデルが、例えばナイキとのコラボみたいな

LLLL: なるほど、そうなんだ。

Houxo Que: 特に僕がやってたライブペイントとかやってた時代はカルチャーとしてそういうところがあって、自分の先輩が企業と仕事をしているのを見て憧れたよ。でもすごい俺面白いと思うんですよ。なんかこう、プレイヤーとしての力量が上がってくると、そのトロフィーとして強いモンスターと戦えるみたいな。で、やっぱ実際デカいグローバル企業と仕事すると細やかなスケジュール進行とか求められる分どんどんハードになっていくし、バジェットも膨れ上がってくる。RPG感覚で、自分をレベルアップさせて強いモンスターと戦っていい報酬をゲットしようみたいな。

Nukeme: クエストだ。

Houxo Que: そう。でも、今は自分の作っている作品が対応してるものは太古から現代まで貫けるようなものを選んでいるので、コミッションワークをするときのそういうモチベーションじゃなくてちょっと態度が変わるんだけど。でも企業と仕事したりすることに関して言うと、結構ゲームのテンションに近いかなと思ってますね。

LLLL: なんかすごいわかるな。俺も近いですね、ちょっとそういう感覚に。

Houxo Que: なんか、なんだろう、その資本主義や消費社会との関係みたいなものっていうのをウォーホルが過去にいて、また現代では村上ダミアンとかがいて以降の今に、また新たに描きなおして捉えようみたいなことを早急に迫る社会じゃもうなくなってると僕個人は思うんだよね。なんでかって言うともうあまりにもありきたりなものになってしまったというか。

LLLL: 風景画みたいなものに近いものを感じるってこと?

Houxo Que: そう、いわゆるその冷戦構造があった時みたいに、資本主義に対立するものがあるぞとか、自分達の概念、考えてるものとは生きてる社会と別のものが対立軸としてある、そういう大きな仮想敵があるとかいう時代ではないし、肥大化した資本主義と豊かさの本質を描かなくてはという要請があるわけでもなくて、満遍なく広がってしまっている。となった時に付き合い方を考えるとかじゃなくて、その中で起きてしまっていることを考えることの方が意味があるのかなというか。あまりにも俗っぽいことを言ってる自覚はあるけれど、だからこそ気になる。あと、資本側の都合で自分じゃ手を付けないようなことをテーマにしたりするので、それは楽しんでるし、制作の豊かさに実は繋がってたりするのかなと思ってる。

Nukeme: この間Que君の家に行った時に話した、テロ対策でアーティストの意識はどう変わるかみたいな話があって。つまり、テロを未然に防ぐために監視しますよと。あなたのプライバシーを多少犠牲にしてでも、安全性を上げた方がいいですよね、っていう論理で、監視カメラをつけられたり、位置をトレースされたり、サーバーに上がっている自分のアクティヴィティとかを明け渡してるんだよね。

それとは別に、FacebookとかTwitterで何にいいねするかっていうことも、自分に合った広告を表示させるっていう経済の効率化のために、自分の情報を明け渡してるわけじゃないですか。経済性とか安全性、あるいは効率性の為に、心の中にあったはずの個人的な空間っていうのを外部に明け渡してしまった後で、アーティストが持っている精神世界みたいなものが、果たして成立するのかっていうのが疑問としてある。

多分、いわゆる20世紀的な、個人主義の究極的な実践としてアーティストという生き方がある、っていう世界はもう成立しなくて。ストレートな内と外みたいな形はもう無いんだよね。ある程度は内側の空間を提供しながらも、外とこう、なんていうか呼応するような感じで、トレードオフしながら、自分が自分であるっていうことを担保し続けるみたいな。

Houxo Que: いわゆる自己表現みたいな図式っていうのは多分芸術の中では死んでいて。

Nukeme: そう。なんかロック的というか、俺はロックだぜ、魂だぜみたいな、ああいう価値観みたいなのは今もう成立しにくい状態になってて。

Houxo Que: なんかそれこそ全てを破壊する勢いにならないともう無理になってしまっていて。なんでかっていうと自分の生活とか自分を取り巻く社会そのものが公の為に私的なものをある程度トレードする状況になってきた時に、まぁその自分の自己表現、内なる自分、どこにあるんだよ、そんなもんいねぇだろ、と。全部見せてんじゃん他人に、見せてないとこ、本当に存在すんの? みたいな時代だよ。だったらそれこそわざわざ表現する意義がなくなってしまうし、そうではなくてある種フィルタリングではないけれどもそういう情報をどんどん循環化する中で出てくるものの中でそこでフィルターに引っかかってくる上澄みみたいなものだけさらってそれこね回して作品にする方が説得力があるような気はする。みんなが棄てたがるものに本質が宿るような感じ。

Nukeme – Glitch Embroidery

境界線の引き直し

LLLL: 僕はさっきNukemeさんが言っていた多層意識だったり、変性意識に興味があるんだけど、それってもしかしたら、僕たちの自我ってあまりにもネット等に晒されすぎていて、ちょっと別のところにいる自分みたいなものを担保しておきたいみたいな欲求がもしかしたらあるのかなと、聞いていて思いました。

Houxo Que: 確かに最近のネットはポリティカリーコレクト っていう正しさ、パブリックな概念に対して、個人の間違いっていうのは、全部晒されて許されなくなってきてる感じがある。たとえば以前の雑誌なんてドラッグの話が当たり前に掲載されてて、ひどかった。こいつら全員キマってんだろうな~っていうインタビューいっぱいあったわけじゃん。

だけど、ある種そういう個人の間違いみたいなものを公の正しさのために断罪するっていう対立的に捉えたひとつの強迫観念ではなくて、もちろん社会の中では多様性への補償であったりとか、そういったバランスを取るためにポリティカル・コレクトネスっていう概念が出てきて、それ自体は間違っていないんだけども同時に僕はそれに対比してプライベートインコレクトって、個人的な間違いみたいなのをできる空間っていうのは必要だと思ってるんだよね。だからどっかに私的な領域を作っておかないといけなくて、だからある種の芸術っていうのは、そういう領域を作るのが非常に今の時代では機能として求められる可能性はあるだろうなぁ。

LLLL: そうなんだよね、やっぱりフーコーとかの『狂気の歴史』じゃないんですけど、やっぱり狂気を世の中に先に提示されて断罪されてしまうとアーティストはなす術がなくなっちゃうからどこか自由は欲しいっていうのはありますよね。で、しかもなんかそれってシャーロッツビルをさっきから何回も出してるんだけどほんとに2017年っぽいなと思うんだけど、あれはやっぱりポリティカル・コレクトネスをどう見るのかっていう問題を含んでいるけど、それに対して疑問を持ってる人って沢山いるという表れなのかなって、僕は完全にポリティカル・コレクトネスの人なんだけど。

Houxo Que: わかるわかる。シャーロッツビルとかそういう問題に関してはポリティカル・コレクトネスが正しいに決まってるんだよ。

LLLL: まぁね、あれはちょっと極端すぎるけどさ。

Houxo Que: というより、ポリティカル・コレクトネスは正しいんですよ。正しいんだけど、なんでもポリティカル・コレクトネスで考えてるのはダメなんだと思う。だから、それによって判断されるべき階層、領域がありますよねって話であって。

明らかなレイシズム、排他的で攻撃的な民族主義、他者の尊厳を傷つけるような行いがあったり、ファシズムの兆候を感じ取った時にそれは不当に犠牲になる人がいるからダメだ、そんなことはしちゃいけないって言うのは間違いなく正しい。正しいはずなんだけれども、例えばSNSとか公と私が曖昧な空間とかで全てそれを集約されると、居心地が悪くなったりする。個人は全部「公」だけで生きてるわけではないから。そうすると、ある種の「私人性」みたいなものをどうやって確保するのか。要はポリティカル・コレクトネスの正しさとは別に、どうやって「私」の場所を作るのかということが重要なのかなと思う。人を傷つけちゃいけないしそんなことはしたくないけど、それとは別にちょっと放っておいてほしい、みたいな。別に放っておかれてはいるんだけど、なぜかそんな気になる。

LLLL: あんま考えたことなかったけどポリティカル・コレクトネスが今滅茶苦茶叫ばれてるのって、要は個人っていう存在がどんどんインターネットとかにアップロードされて滲んでるぼんやりとした私っていうものになってしまっているからかな。

Houxo Que: 境界が曖昧だよね。

LLLL: なにもかも矯正していかないといけないってところにきてるから。

Houxo Que: あと、大事なことだから言うけど俺としてはポリティカル・コレクトネスをPCって略すのやめて欲しいんだけどね。パーソナルコンピューターだからPCは。パーソナルなんだよ、俺のPはパーソナルなんだよ。

Nukeme: なるほどね。僕はセクシュアリティの話にすごい興味あって。Facebookって自分がMaleかFemaleか宣言しないかって選べるじゃないですか。あれを実際はLGBTとかって選択肢もあるべきだっていう話があって。でもLGBTを入れるとしたら、インターセクシュアルとかアセクシャルとかもあるじゃないですか。じゃあ一体どこまで入れるべきかっていう話があって、調査したら58個性別があったっていうリサーチがあるんですよ。で、58ってやばいなって思って。聞いたことない概念も多くて、もはや単純に言葉の組み合わせで作ってるんじゃないかってところもあるんですけど。で、やっぱポリティカル・コレクトネスって、そういう自分とは違う、他人が持ってるリアリティみたいなものにちゃんと配慮しましょうみたいなことだと思うんですよ。基本的なことでいうと。

宗教性の違いとか民族性の違いとか、それを、そんなの常識外れだと、うちでは通用しないよってバッサリ切り捨てるのはやめましょうとか、多様性を認めていきましょうっていうのが根本だと思うんですけど、あまりにも正論すぎて、トランプ大統領の生まれた原因のひとつだと思います。その正しさに四六時中向き合うのは、あまりにもしんどいと。自分の中にほんのちょっとでも、人種の違う人たちに対して生理的な忌避感があったら、自己否定せざるを得ないじゃないですか。さっきのQue君とのインコレクトネスの話は、あまりスタティックにやりすぎると、パブリックな場でも暴力を振るいかねないから、プライベートではインコレクトネスでもいいんじゃないかっていう話として僕は理解してて、多少家でえげつないAVとか観ててもいいよっていう。何かしら、逃げ場があった方が表では優しい顔でいられるというか。

Houxo Que: 「お前のハードディスクの中身は問わない」みたいな、そういう態度が大事で。「お前のハードディスク間違ったもの入ってんだろ」っていうのは良くないよ。少なくともハードディスクの中に関しては。ハードディスクの中はダメ。

Nukeme: それに対して恐ろしいのが共謀罪みたいな話じゃないですか。合理的な安全性よりさらに踏み込んで、犯罪の芽を摘んで種を枯らすべく、心の中にまで入り込んでくる法律ですよね。

Houxo Que: あっちの方がね、やばいんだよね。きついよね。

Nukeme: グラフィティ・ライターとか。普通に犯罪ですからね。あと倫理とは別に、犯罪か非犯罪かっていう問題もあって。

LLLL: それも面白いですよね。

Nukeme: コレクトネスかインコレクトネスか、リーガルかイリーガルかっていう問題。

Houxo Que: 全然別なんだよね。倫理の問題なのか、法の問題なのかっていうのも違うし、法を超えてるから、イリーガルだから非倫理的かって言われるとそうではない。

Nukeme: そうです、そうです。

Houxo Que: その辺の諸々の線引きをもう一度引き直さないといけない時代にはなってる。

LLLL: それは、なってるよね。

Nukeme: 法的にいうと死んだ猫って燃えるゴミだけど、でもそれは倫理的に間違ってる。

Houxo Que: そういうことだよね。

LLLL「魔法」(ZOOM LENS, 2017) Music by LLLL, Artwork by Houxo Que

Main Visual: Houxo Que

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(2017.9.21、 青山にて)

Information

Nukeme:
「フリクリクリ展」
18年の時を経て続編公開が発表されたアニメ作品「フリクリ」。フリクリ好きなクリエイターによる作品展示やフリクリ公式資料も展示。

日程: 2018年4月4日(水)〜2018年4月15日(日)
時間: 11:00-20:00
会場: GALLERY X BY PARCO (渋谷区宇田川町13-17)
入場料: 無料

参加クリエイター: ウエダハジメ、陽子、F*Kaori、GraphersRock、Jenny Kaori、NC帝國、Nukeme、Utomaru

Houxo Que:
ATELIAIR (アトリエア)
東京を代表するクリエイターやアーティストが想像をかきたて、「エア」の解釈と新しい表現に挑む場所「ATELIAIR」が期間限定オープンします。一般開放期間中、来場者はこの場所から生み出されていく最先端のクリエイションを体験できます。

日程: 2018年3月17日(土) – 3月25日(日)
時間: 17日(土)12:00 – 20:00, 18日(日)- 25日(日) 11:00 – 20:00
場所: 東京都渋谷区神宮前6-19-21
入場料: 無料
INSTAGRAM: @ateliair_tokyo

参加クリエイター: ALEXANDER JULIAN, BIEN, HOUXO QUE, KENICHI ASANO, KOTA IGUCHI, MAGMA, MAITO OTAKE, MEGURU YAMAGUCHI, YANG02, YUDAI NISHI etc.

Houxo Que『apple』
展示期間: 2018年3月2日(金)- 2018年4月1日(日)
開廊時間: 12:00 – 19:00(木 – 日曜日)
会場: Gallery OUT of PLACE TOKIO
休廊日: 月・火・水曜日 休廊

“この度 Gallery OUT of PLACE TOKIO では、2018年3 – 4月期の展覧会として Houxo Que『apple』を開催いたします。
Houxo Queはグラフィティに出自を持ち、ストリートでの壁画制作を主に作家活動を始めました。近年ではディスプレイに直接蛍光画材を用いてペイントする絵画作品「16,777,216view」シリーズを中心に、現代美術の分野で活動の幅を広げています。
Houxo Queは絵画における光の重要性をしばしば強調しますが、その真意は、現代社会の中で我々が日常的に目にする光の多くがディスプレイから発せられている事に着眼し発表して来た「16,777,216view」シリーズに込められています。今回の新シリーズ『apple』では大胆にも、今や現代人の生活とは切り離せないデバイス(iPhoneやiPadなど)を支持体にしています。
今回展示される作品はインターネットを通して向こう側の世界とリアルタイムに繋がっている現代社会を象徴し、鑑賞者は作品を「見る」と同時に「見られている」と云うアンビバレントな状況に身を置くことになります。鑑賞者に光の深淵を覗き込ませる様な、Houxo Queのリアルタイムな絵画を是非この機会にご高覧ください。(Gallery OUT of PLACE TOKIO、公式ウェブサイトより)”

LLLL:
ZOOM LENS Presents: FATHOM
日程: 2018年4月8日 (日)
時間: 16:00 to 22:00
会場: CIRCUS Tokyo
料金: 2,500yen(Door) / 2,000yen(Adv)

出演:
テンテンコ/Tentenko [LIVE]
Sho Asakawa (PLASTICZOOMS) [DJ SET]
Meishi Smile
LLLL
Yeule [JAPAN DEBUT]
小林うてな/Utena Kobayashi
Ermhoi
Smany & Nyan-Nyan Orchestra

企画: LLLL + UNCANNY

構成: T_L + MMHT

アシスタント:
平田梨紗
1997年生まれ。青山学院大学総合文化政策学部在籍。

神ひより
1998年生まれ、青森出身。青山学院大学総合文化政策学部在籍。音楽藝術研究部に所属。