ARTIST:

tofubeats

TITLE:
FANTASY CLUB
RELEASE DATE:
2017/5/24
LABEL:
Warner Music Japan
FIND IT AT:
Amazon, Apple Music, Spotify
REVIEWSJune/21/2017

[Review]tofubeats | FANTASY CLUB

私たちが見ている世界は〈確かなもの〉なのだろうか。

例えば、机の上にあるペットボトルとスマートフォン、試しに買ってみた数冊の雑誌。鏡像を認識する私たち自身、あるいはSNSの中にいる私たち自身(それもある種の鏡像だ)。すべては、現実にあるかのように見えて、存在しないものと言えはしないか。“何かあるようで、何もない”のではないだろうか。

『FANTASY CLUB』において、tofubeatsは〈確かなもの〉を希求する。

本作で、tofubeatsは、伝統的とも言える「アルバム」の制作を意図的に行っている。tofubeatsは、特に前作、前々作における作品では、アルバム全体の統一感よりも、コンピレーション的な作品集として、あえて様々なスタイルの楽曲を収録したという。それは、究極的なポストモダン、すなわち個別の価値観や個人や時間という単位の超細分化に適応することこそが正に「新しい作品の在り方」なのだとして、tofubeatsが既存の価値観を切断して提示したものであった。

また、ネットレーベル、すなわち無料で楽曲をネットで配布する行為、それは数年前までは前衛的と捉えられたが、ネットレーベルの当事者のひとりである和田瑞生が「もはや、ネットレーベルという言葉すらレガシーなものに思えてきている」と述べるように、それらの方法論自体も今や、良くも悪くも新しい概念ではなくなっている。そして、遂には「ポスト・トゥルース」というインターネットによる実社会への弊害が指摘される事態すら起きてしまう。

誰よりもインターネットの恩恵を受けてきたひとりと自認するtofubeatsにとって、本作は「ポスト・トゥルース」へのある種の反証とも取れる(実際にインタビューからもその様に読みとれる)。自身の手で「アルバム」(すなわち歴史)を外部に明示することで(ポスト・トゥルースすら包含する)インターネットの正の側面を証明しようと試みたのだ(歴史を正しく理解しているという証左)。

画一化された郊外の風景は、歴史的というより、むしろ前衛的な風景を見せる。緻密なマーケティング戦略によって配置されるショッピングモールは、エンタテインメント性を持ち消費者のニーズにもまた的確に応える。欲望を満たすことのできる充足感の一方で、まるで欲望を与えられているような機械的な不気味さ──規格化されたそれらの風景は、“何がリアル、何がリアルじゃないか”と一瞬私たちを戸惑わせる巨大な装置でもある。

一方、それ(場所)とは関係なく、〈確かなもの〉は存在する。“晴れた日には街に出かけよう”、“晴れた日には街を眺めよう”。「YUUKI」では”愛しあう”ことのできる他の誰か、すなわち〈確かな他者〉の存在が明示されている。“君だけを見て 導かれる”と繰り返す、70年代の楽曲「あの頃のまま」をサンプリングした「BABY」も同様と言える。

歴史を内在化したものとは言っても、本作は単純な構造ではない。「CHANT#1」と「CHANT#2」、「LONELY NIGHT」と「CALLIN」、「WAHT YOU GOT」と「WTG(REPRISE)」はそれぞれ対を成すトラックとなっており、反復されるフレーズによってむしろ現実が歪むような錯覚を聴く者に与える。明確なノイズとまではいかないものの(おそらく敢えて抑制している)、決して漂白されることのない楽曲の強度が全曲に備わっている。楽曲の強度。それは、tofubeatsが時間をかけて積み上げてきた音楽理論上の技術のみならず、俯瞰して社会を捉えようとする“ノリだけのときとは何か違う”(1)感覚が与えたものとも想像することができる。

「現実にあるかのように見えて、存在しないもの」。私たちの目から見た現実は現実なのか? そして、あなた(私)にとって〈確かなもの〉とは一体何か。

本作でtofubeatsは、そう問いかけ続けている。

(1)CD付帯の歌詞カードの「LONELY NIGHT」を参照

一部追記しました。(2017.12.20)

レビュー/文・T_L (UNCANNY)