INTERVIEWSMarch/09/2016

[Interview]Qrion – “sink” (Part.1)

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 ネット上にアップされたQrionの写真の多くは、口元が隠されている。TwitterやInstagramに存在する彼女は、手が届くような場所にいるようで、実は別の場所にいるかのような不思議な存在感がある。

 まだ高校生だった頃にその才能を見出され、作品をリリースした彼女は、その後、カナダのプロデューサーRyan Hemsworthとの共演曲から一気に世界へとつながっていく。そして初のアメリカ公演を成功させて以降、特に昨年は、国内外の多くのリミックスワークを手がけ、さらにプロデューサーとしての評価を高めていった。現在、21歳のQrionは、活動の拠点を日本からアメリカへと移すため、サンフランシスコへの移住を予定している。この3月には、SXSWの出演も決定している彼女に、出国前の心境やこれまでの活動について話を聞いてみた。

__(2016年の)3月からサンフランシスコに移住されるということですが、今現在の率直な心境を教えてください。

今は、とにかくビザや入国の準備が複雑でたいへんですけど、それ以外は、サンフランシスコに行くことへの不安はあまりないですね。3月のSXSWから、もう5月くらいまで、ライブの予定が入っています。

__Qrionさんの名前の由来を教えてください。

本名が椛(もみじ)っていうんですけど、それをいろいろ英語に変換したり、いろんな言語に変換してて、一番響きが良かったのがロシア語のQrionで。たしか本当は最初がKなんですよ。でもインパクトがないと思って「Q」っていう字にして、そしたら今みんな「Q」って呼んでくれているので、しめしめっていう感じです。

__海外では、あだ名は“Q”なんですか?

みんな「Q」って呼びます。

__この名前は、いつごろから使用しているのでしょうか?

名前は最初のアルバム出すときなので、2年半前とか3年前くらいからです。

__当時、リリースに合わせて、という感じでしょうか。

その前がほんとに活動のことを考えないで、個人でやってたので、普通に名字がアーティスト名みたいな感じだったんですよ。リリースにあたって、レーベルからの提案もあって変えました。

__SoundCloudの一番下にある「I’m in Water.」は、最初の曲ですか?

でもないですね。アップしたのが、この前にもうひとつ違う、個人でやってたときのアカウントがあって。名前をQrionに変えてからは、あれが最初です。

__SoundCloudでその曲の説明に一言“wanna die”と記載がありますが、いつ頃どのような時に制作した曲なのですか?

その時に、私就職で高校卒業したんですけど、WASABEATさんのインタビューにもあったと思うんですけど、ヤバいくらいのブラック企業で、入社前に辞めたんです。でも高校には就職で辞めたってことになってるし、友達もそう思ってるから、「もう私はどうしたらいいの……」っていう心境だったんだと思います。

__なるほど……。2013年に、〈SenSe〉から2枚のEPをリリースしていますが、リリースのきっかけはどのような経緯だったのでしょうか?

きっかけは、その個人でアップしていたサンクラ(SoundCloud)のアカウントを〈SenSe〉のレーベルオーナーが発見して、TwitterのDMがきて、「曲がすごい良かったからリリースしませんか」みたいなことを唐突に言われて。そのとき確かまだ高校生だったので、恐る恐るそのオーナーと話をして。最初は音楽活動をするために曲を(SoundCloudに)上げるっていうよりかは、こう作ったので、作品を聴いてくださいっていう気持ちだけで作っていました。普通にバイトしながら活動するんだろうな、としかその時は思ってなかったので、こういうこともやってますっていう、なんて言えばいいんですかね……。〈SenSe〉の2枚に関しては、これを言ったらレーベルの人に怒られそうなんですけど、音楽一本でやるっていう心構えがまだ無かったんで、形として出したいなっていうのがああいう感じになりました。

__その当時を振り返って、一番印象深かった出来事は何ですか?

リリースして、初めてのライブがあったんですよ。一番最初のライブは、バンドがいっぱい出るライブのオープニングだったんで、そこまで私のお客さんとかは来てないんですけど、2回目のライブの時に、この間アルバム出した女子高生がライブをしますっていう感じで、メインで出演したときがあって。その時に予想以上に人が来てくれて、ネットで見たから、来てみたみたいな人がいて、すごい感動しました。なんかiPhoneでバス乗りながら作ったり、すごい自宅の部屋が狭いんですけど、そこでやっていたことが、こう広い世界に出ていくことに本当に感動しました。

__EPのジャケットを制作したPATANICAさんのホームページに、当時高校生だったQrionさんとすすきのの純喫茶サンローゼで初めて会って打ち合わせをした、といったことが書いてあったのですが、Qrionさんはどんな高校生だったのでしょうか?

なんか、田舎くさい感じだったと思います。PATANICAさんにもそれ言われて、すごい納得しました。でも、友達がいないからとか、何かがあったからとかじゃなくて、ただ単に家から学校までの距離がありすぎて、あんまり学校には行けていませんでした。バスが1時間に1本とかで……。あとは本当にごく普通の高校生ですね。

__EPを出したころは19歳ですか?

EPを出したのが、1枚目が2月なので、たぶん卒業式の前とかです。2枚目は卒業式の日にしようって言って、3月1日なんですけど。だからまだ18歳ですね、もしかしたら。

__2014年にその後、フィジカルリリースにもなる「sink」を収録した『sink』のリリースとなりますが、この作品は、どのような気持ちで制作していましたか?

この時はなんか、心が平和じゃない時期で。結構それが、作品に出てる気がします。たぶんそういう意味もあって当時(このタイトルを)付けたんだと思います。

__まだ、“wanna die”が続いていたんですね。本当にそのときの気持ちを反映しているというか。

悲しいこととか、暗い気持ちを制作にぶつけることが多くて。でも、今はリミックスも制作も仕事としてやってるから、あんまりそういう感情でどうこうは今後のためには良くないって言われるんですけど、割とそういう暗い気持ちをぶつけることが多くて。『sink』はその塊のような。悲しい気持ちの塊が『sink』です。

__その後、同じく『VANDCAMP』というコンピレーションで「Beach」をリリースします。この曲も、代表曲のひとつだと思うのですが、これは明るい曲だと思うのですが、どのような心境だったのでしょうか?

「Beach」の前に『VANDCAMP』のために作ってた曲がいつも通りの暗い曲で、アンビエントっぽい感じだったんですけど、なんかあんまり納得いかなくて。納得いかないまま、ずーっと日にちが経っていって。提出の締め切りの2時間前くらいにじゃあもう全く別のことをやって、どんな風になるか試してみようと思って、突発的に作ったんです。それをPARKGOLFに渡したら、「こっちのほうがいいんじゃない?」ってなって。最初はなんか、「やったーできた!」っていうよりも、「ほんとにこの曲リリースしちゃって大丈夫なのかな……」っていう気持ちで。今までと本当に真逆の感じの曲になりましたけど、結果的によかったです。

__その後、2013年は、大きなリリースはありませんが、どのような状況だったのでしょうか?

2013年は普通にバイトをして生活して。あとは、パソコンに移行したんですよね。iPhoneからCubaseに変えたんですけど、もう難しすぎて、曲作りどころじゃなくて。本当に昔の自分に言いたいんですよ。最初がCubaseってちょっとやっちゃったなぁって。DE DE MOUSEさんが『Sound & Recording』の連載で、Cubaseの使い方を説明する動画がYouTubeにあって、それを見て、「あ、これだ!」って思って。

__この後、2014年に、Ryan Hemsworth との共作になる「Every Square Inch」(with Qrion)が発表されます。このコラボレーションは、ご自身の大きなターニングポイントになったと思うのですが、当時、特に海外からの反応などはどのように変化しましたか?

海外は、Ryanとのこの曲の発表前は、サンクラでググって聴いてくれている人とかが数人いて、たまにつぶやいてくれている人がいるだけだったんですけど、出してからはだいぶ聴いてくれる人が増えたと思います。Twitterのフォロワーとかも、海外の人がフォローしてくれるようになりました。

__このあと、怒涛の展開となっていくのですが、2015年の最初のサンフランシスコのライブは3月ですか、4月ですか?

3月ですね。たしか1週間くらいしか行ってなくて。ひとつのイベントのために行きました。

__今、サンクラに上がっているライブセットの音源でしょうか?

はい、そうです。

__5月にも、もう一回行ってるんですよね?

はい。その時はツアーで、たぶん7公演くらいやりました。シアトルと、LAと、サンフランシスコと、あとニューヨークだったと思います。

__3月が人生初の渡米でしたか?

はい、その3月の公演が初めてのアメリカです。

__アメリカのオーディエンスの反応はどのようなものでしたか?

感じたことは明らかにノリが違うっていうのを思ったのと、盛り上がるだけがクラブでやる音楽じゃないっていうのをわかっている人が結構アメリカにいて。私が静かな曲かけても、こっちがこう楽しんでいるようにやると、むこうもちゃんと反応してくれるのがすごくよかったです。今はライブセットが、だいぶベースよりになってきてるんですけど、前までは結構静かなのが多かったんです。それをクラブっぽいところでやってたので、みんなが踊れてないのを見て、結構申し訳ないなっていう気持ちになることが多くて。なんかtomadさんにそれを言ったら、「踊るだけが音楽じゃないから」みたいなことを言われたんですけど、それをアメリカですごい実感しました。

__そのツアーを通じて、アメリカがなんとなく自分に合ってるなって感じたのでしょうか?

そうですね。元々、アメリカの音楽とか好きだったんで、それが日常的にあるのがいいっていうのもあったし、なんか単純に、アメリカでやると結構はっちゃけて、何も自分のこと気にしないでただ楽しんでやるっていうことがアメリカでは出来たのを実感して。

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(Part.2 、“Beach”へつづく)

インタビュー・文: T_L

アシスタント: 岡田桃佳
1995年生まれ。主にポップスを中心とした洋楽を得意とする。青山学院大学総合文化政策学部在籍。