INTERVIEWSDecember/24/2015

[Interview]Madegg – “NEW” (Part. 1)

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 京都を拠点とするKazumichi Komatsuによるプロジェクト、Madegg。〈flau〉よりリリースされた最新アルバム『NEW』は、前作『Kiko』からおよそ2年8ヶ月ぶりのスタジオ・アルバムとなる。『Kiko』のリリース以降、MadeggことKazumichi Komatsuの活動はさらに先鋭さを増し、別名義M/D/Gのリリース、自身のレーベル〈NO CREDIT RECORDS〉の設立、食品まつり a.k.a foodmanとのスプリット・EPや、同じ京都を拠点とするdagshenmaとのユニット、Acrylのリリース、さらにはD/P/I、Inga Copelandといった海外アーティストをゲストに迎えたイベントの開催から自身に関連する作品のジャケット・デザインに至るまで、実に精力的な活動を続けている。

 本サイトでは、前作『Kiko』のリリース時にもインタビューを行っているが、今回もまた、最新作『NEW』を中心に、レーベル、イベントなどの活動や拠点とする京都について、また音楽家としての今後についてなど、様々な角度から語ってもらった。

__今回2年8ヶ月ぶりの最新作であるサードアルバム『NEW』が発売されましたが、まず率直な心境を教えてください。

このアルバムを出すまでの3年経たないくらいの中で、ちょこちょこカセットを出したりとか、ヴァイナルやEPを出したり、コンピレーションアルバムに曲を入れてもらったりはしていたんですけど、結構実験という感じが続いていたので。だからまとめて作品を作ろうという意欲があまり湧かなくて。そういう意味では、今までの作品の作り方と今回は全然違いますね。作ろうと思って作り始めたから出来た、って感じです。

__今までと作り方が違うというのは、具体的にはどういったところでしょうか?

今まではどういう生活の中でどのタイミングで作るとかではなく、やりたい時に作ってネットにあげていたりしたんですけど、今回はやるかってなって作り始めた感じです。その点が違っていて。作り出せなくなった時期が結構長くて、1ヶ月にひとつしか作れないことが続いた中だったので、アルバムとかを作り出す動機を見つけるのが難しかったんですよね。だからまずそこを考えるのが必要で。その曲の世界観みたいなものが出来上がってからじゃないと作り出せなくて。なんかそのコンセプトみたいな部分がしっかり思いついてから作業をし始めるという点で全然違いました。

__では、今回は音を作り始める前に先にコンセプトを考えたということでしょうか。

そうですね。

__前にTwitterで、コンセプトが閃いたと投稿されていましたが、そのきっかけは何かあったのですが?

きっかけは……、自分自身が大学を卒業して、今大学院生なんですけど、元々大学ではデザインの勉強をしていたんですけど、大学4年の頃はゼミに入って、デザインとは全く関係ない、コンセプチュアルなコンテンポラリーアートとかの方向に向かって。そのときに結構自分の中で複雑な心境の変化とかがあって、今まで通りにやっていても面白くないと思ったし。入試を受けて大学院に入って、今も現代アートや現代思想なんかを学んでいるんですけど、そこから得たコンセプトは結構反映されましたね。自分の生活の変化というのが。

__例えば、大学院で学んだり、読まれた本の中で、自分の軸になったというか、一番影響を受けた思想などはありますか?

誰のどういった思想に一番影響を受けたとかはないんですけど、アルバムを作る少し前から、音楽そのものや音楽を作る自分が嫌いになってきてたんですね。“音楽”が飽和し切っている中で新しいものを作るということが見えなくなっていて。必要ないというか、もう音楽に魅力を感じなくなっていて、一回ゼロになったんですね。そういう中で、どうやって捉え直そうかっていう時に、現象として捉えざるを得なくて。ナラティブな、物語としての魅力を感じなくなっていたので。ライブ活動が増えた中でそういう転換があったんですね。それってなんなんですかね? 例えば物理学の世界でも、遠くで光っている光って50光年とかの距離、時間を経てきているけど、相変わらず一瞬は一瞬で。僕も音楽に対してそういう発想があって。例えば今ここに響いているような音に関して言っても、長い時間の中での一瞬を切り取っているというか。そういうイメージを持っています。それが何なのかは分からないんですけど(笑)。

__〈flau〉の公式ホームページにある「建築」「神殿の形成」「人と野生」「境界と言葉」「石」「血脈の水」という作品のコンセプト、キーワードについて、こういったいくつかのコンセプトはどの曲にあたるのか1つ1つお聞きしようと思っています。例えば「建築」はどうですか?

「建築」だと6曲目の「Dragon」ですかね。それもなんていうか、言葉にするのは難しいんですけど、「建築」は曲の構造のイメージを表しているアイデアのひとつで。どちらかと言えば。建築物に自分か対峙した時に、視覚的なものだと遠くから見れば見る程構造が圧縮して見えるというか。ディテールが見えないので。こう、柱がばーっとあるパルテノンみたいな宮殿を想像したときに、その柱というものを体感するには一周しないといけないみたいな。で、それを逆に考えたら、遠くから見たら圧縮しているように感じるというか。それが音を作るプロダクションのアイデアの一つというか。近付いて見れば遠近感を持った構造だけど、遠くから見たら板のような、ハリボテのようなものになるって感じですね。それが「Dragon」もそうだし、「Palace of Robe」もそうだし。

__では「神殿と形成」はどうでしょうか。タイトルにもありますが「Palace of Robe」のビデオにも神殿が出てきますよね。これは全体としてのテーマだったのでしょうか。映像になっているというのもあって。

そうですね、「神殿と形成」って結構重要な言葉だと思うんです、自分にとって。ないがしろには出来ない気がしてて。その点では『NEW』ってあんまり直感的には聞けない気がしてます。脳の少し複雑な所を通さないとヤバくならない、みたいな。それはさっきの構造と同じで、あえて僕はハリボテにしているんです。雑だと思えるように作ってある。でもそれは一回行って帰ってきた俯瞰という過程で。行かない人もいるじゃないですか、そこに。でもそれはしょうがないと思っているし。だから「神殿と形成」っていうテーマがある、というヒントのようなものとしてそれがありますね。分かりづらいですけど。

__なるほど。では次に「人と野生」についてお願いします。この曲は1曲目「Savages」と意味合い的にも関係しているのかなと。

そうですね。去年僕が大学の卒業制作で考えていたことで、人工物は一体どのタイミングで自然物に変わるのかっていう問いがあって。朽ちていくという意味で。最近授業で、技術の本質は技術的ではないっていう話を先生がしていて、最初は意味が分からなかったんですけど、例えば川が流れていて、そこにダムっていう技術を投入した時にその技術の本質っていうのは川を塞き止めて人間のために役立つようにするものように見えるけれど、実は違うっていう。その技術に対してエコロジストが、塞き止めたことで川の環境が変わって魚が死ぬからやめろって批判をするけど、もうその批判自体が技術的で批判になっていない、川という形而上のイメージがダムという形而上のイメージに一変する、それをさせるのが技術だってことを先生が仰っていたんですね。結局そこも繋がっているというか。人工物というテクノロジー、いわば技術がどのタイミングで自然と一緒になるのかっていう。田舎に行けば雑草がたくさん生えている所に軽トラが埋まっていたりするじゃないですか。あれはなんなんだっていうのを考えた時期があって。境界ですよね、自然と人工物との。その境界という意味で考えていたんだと思います。

__今”境界”という言葉が出ましたが、次は「境界と言葉」というテーマについて伺いたいと思います。ここは繋がっているものなのですか?

まさにそうですね。例えば僕がスピーカーから自分のCDを流して聞いた時に、その音っていうのは僕が作った人工物なんですけど、それがどういう風にアンビエンスに変わっていくのかという境界はあると思っていて。クラブの壁を通して外側から聞いた時に、それは環境音なのか僕の音楽なのかっていうことだったり、結構音楽上の大きい問題だと思うんですけど。でも音楽って聞いてる人がいるからこそ音楽なのであって、誰も聞いていなければそれは環境音になるわけじゃないですか。そこにあるものとして。フェードインで始まってフェードアウトで曲が終わるっていうのは結構それを意識していて。

__では聞く人はどちらで聞けば良いのでしょうか? どちらが正解というものは無いと思うんですけど、何となくそこにあるものとして聞くものなのか、意識して聞くものなのか。多分ご自身がそれを考えて作っていたら曲もそういうものになると思うのですが。

少し話は変わるんですけど、僕はポップスやポップカルチャーに対して憧れを持っていて。でも自分はやっちゃいけないと思っているんです。ポップソングは多くの人に「聞く」ということを強要するし、そういう構造になっている。そういうものがCDになっていく時代だと思うし。でもそれ以外のゴミみたいな音楽を出すとなると、(今作のように)ちゃんとプロモーションしてCDを出すって一体なんなのかっていうのは意識しました。「Savages」も音響的にスカスカだし、ただループしてるだけだし。でもその中でそれを聞いた時に、何て言えばいいのかわからないっていう感覚になるようにはしていて。まとまり良くなっているようでなってないし、良いようで良くなかったりだとか。今まで全く意図せず作っていたんですけど、今回はあくまで意図してやっている感じですね。

__コンセプトについては、ほとんど聞けてしまったような気もしますが、「石」についてもお伺いしたいと思います。このアルバムは、全体的に硬い「石」のようなイメージがあると感じました。

確かになんかインダストリアルっぽいとは言われます。なんか、シンセサイザーを使うと皆たどり着く所は同じな様な気がするんですよね、音的に、やりきったとなると。それが石っぽいところがあるのかもしれないです。だから正直みんな同じことをやっている気がするんですよね。それは無意味というか、大きい存在も一端でしかないし。僕はそこにMadeggというステッカーを貼っているというか、単にそれだけでしかないというか。

__それはつまり、最終的には全て同じである、という意味の表現ですか? 今の話で言えば、音楽家がシンセサイザーを使って音楽を作りきった後、皆同じようなものになってしまうものに自分というタグを付けて出している、という事になると思うのですが。

今はまさにそうだと思っていますね。技術の進歩が一番急進的だった時代が一番シンセサイザーが盛り上がった時代だと思うんですけど。だって多分今まで一切聴いた事のない音じゃないですか。で、何か全員石っぽいんですよ、僕からしたら。色々いじり倒した後にそこに行くんやなっていう、音が。でも僕はその音が好きだし、だから良いんですけど、同じでも。

__そこには疑問はあるけど、でも好きだし、それで良いのかなっていう、ふたつのイメージがありつつも1つのテーマとして「石」が出てきたとことでしょうか。

そうですね、葛藤ですね。

__では最後に「血脈の水」についてなんですけれども。

「National Water」っていう曲があるんですけど、あれも骨しか無いみたいな曲で。ただの素材みたいな曲で。あとは「Lineage of Stones」とかにも繋がっていくんですけど、このテーマはテクスチャーの話ですね。結構、写真を印刷して貼って見ながら作業をするのが好きなんですけど。この写真資料のテーマソングを作ろう、みたいな感じで作ることが多くて。で、その時に血や水のテクスチャーをアップで撮った写真とかがあって、それをイメージしましたね。

__あと、「National Water」のミュージックビデオが個人的に好きで。一点だけでずっと点滅している、しかも琵琶湖で撮るっていうこの作品のコンセプトはどこから来たものなのですか?

『Kiko』のミュージックビデオも琵琶湖で撮影したんです。スタッフも同じメンバーで。それもあったし、琵琶湖が結構好きなのでもう一度撮っても良いかなと思って。で、使いたいけど曲のイメージではないなって理由で使えなかった場所もあったし。あと、木の立ち方や距離感があんまり日本ぽく無いなって思ったので。地理的にも辺鄙な場所にあるんですけど、突如として現れるんですよね。京都の山越えたらあるんですけど、地図的にはそんなに近くない筈なのに。湖も向こう岸が見えない程大きいし。そんなよくわからない魅力的な湖ですね。

__何か魅かれるものがあったんですね。

ありましたね。しかもあそこ有名な心霊スポットもあって。夕暮れくらいだったんですけど、平日で人の少ない時間に。まあ撮っていく中で変なものが見られたらラッキー位の気持ちで。

__あれって一本でずっとチカチカやっているんですか?

そうですね、LEDで、一本でチカチカやってます。でもちゃんとビートに合っていないっていう。後半、ずれていくっていう(笑)。

__『Kiko』と今回の『NEW』がある中で、『Kiko』はどちらかというとエレクトロニカというか、もう少し美しい旋律がある一方で、『NEW』は音に凶暴さのようなものを感じました。UNCANNY主催のイベントに出てもらったときは『Kiko』が出てから半年くらいだったんですけど、その時からどちらかと言えばサウンドは今の形にすでに近かったんじゃないかと思います。今回のアルバム・コンセプトを決める前のことだと思うのですが、『Kiko』のリリース後、そういったサウンドの変化が起きたのはどういった経緯だったのでしょうか。

『Tempera』に戻ったのかもしれないですね。『Kiko』はちょっと違うというか。あれもコンセプチュアルなアルバムになるのかな。綺麗なものを目指そうと思って作っていたので。根本的に僕はどちらかと言えば暗いというか、皆に一般的に良いって言われてるものを僕はやりたくない、天邪鬼なところがあって。

__そういう意味でも、『NEW』では自分がやりたいことをちゃんとやれた作品と言えるのでしょうか。

そうですね、やれることはほぼやれたかなっていう感じです。

Part. 2に続く)

インタビュー・文: T_L

構成・アシスタント: 成瀬光
1994年生まれ。UNCANNY編集部員。青山学院大学総合文化政策学部在籍、音楽藝術研究部に所属。