EVENT REPORTSJanuary/16/2018

[Event Report]LECTURE WITH DJ KRUSH @『NEWTOWN』 音楽持論展開特講 − RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2017

 DJ KRUSHは文字通りレジェンドであると同時に、今も先駆者として新たなサウンドに挑戦し続けている。

 DJ KRUSHが、新宿で何気なく入った映画館で映画『ワイルド・スタイル』に出会い、それまでの人生を大きく軌道修正し、DJ KRUSHとしての活動を始めたというのは有名な話だ。

 1992年、グループとして活動していたKRUSH POSSE解散後、KRUSHはソロでの活動を余儀なくされた。また当時、日本のレコード会社からは、KRUSHの作るサウンドはビジネスの面で全く相手にされなかったという。家族を養う必要があったKRUSHは、海外に照準を合わせ勝負を賭け、当時一年の期間を設け、もし何も起こらなかったら、KRUSHは音楽を辞める決意でいたという。

 その間、KRUSHは、毎週120分のテープ一杯にデモを収録し、所属する事務所に持っていったという。そして、海外のアーティストやプロデューサーに数え切れないほどのデモを送った結果、ロンドンの雑誌『Straight, No Chaser』のチャートに3本のデモテープがランクインする。そしてそこから、Ronny Jordan『Bad Brothers』のリミックス作品のリリースへと繋がり、DJ KRUSHは世界デビューを果たす。

 その後の活躍は、各所で知られるところだが、DJ KRUSHが、DJ KRUSHになるまでに、そしてこれまでDJ KRUSHとして第一線で活動を続けてきた道には、数多のストーリーがある。

 DJ KRUSHは、現在も世界中のフェスティバルから出演依頼が絶えないという。日本での活動よりも、必然的に海外での活動が中心になる中、敢えて日本人のラッパーを迎えて制作されたのが最新作『軌跡』である。

 昨年開催された「RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2017」のプログラム「LECTURE WITH DJ KRUSH」では、DJ KRUSH自身から新作『軌跡』の制作背景を中心に貴重なストーリーが語られた。またアルバムに共演し、レクチャーにも参加した、チプルソ、Meisoからも制作の話を通じて、同様にそれぞれが持つストーリーが語られた。

 DJ KRUSHは、レクチャーの中で、自身の音楽を「マンホールの下から都会の様子をみるようなサウンド」と例えた。それは、DJ KRUSHが、かつてDJ KRUSHになる前に見てきた世界—すなわちそこで、その欲動が何度も回帰され、DJ KRUSHとしての表現が確固たる強度を持って永遠に反復される理由を一瞬垣間見ることができたように思った。

→「LECTURE WITH DJ KRUSH @『NEWTOWN』 音楽持論展開特講」のフルバージョン映像はこちら

*本文の執筆にあたり、映像作品『吹毛常磨』(Sony Music Japan International, 2009)のライナーノーツを参照した。

Photo: (c)Suguru Saito / Red Bull Content Pool

Link: RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2017

文:T_L