INTERVIEWSNovember/28/2017

[Interview]Sapphire Slows − “Time”(Part.1)

 トーマス・フリードマンが、”フラット化する世界”について指摘したのが、2005年。それからすでに10年を超える現在、グローバル化のパラドックスが無意識下で私たちを抑圧し、複雑な衝突を生み出す一方で、それらを乗り越えようとする新たなコミュニティが世界中で誕生し、様々な文化や価値の交流を創出し続けている。

 Sapphire Slowsは、東京を拠点とするプロデューサー/DJ。2011年のデビュー以来、その活動は、日本国内のみならず、アメリカ、ヨーロッパ、アジアと世界を舞台とし、各地のコミュニティに自身の音楽を送り続けている。

 そして、今年9月には、その最新作となるミニアルバム『Time』をリリース。同作は、この12月に来日公演を控える、ロンドンを拠点とするpattenのレーベル〈Kaleidoscope〉からのリリースとなっており、続く11月には、およそ3週間に渡るヨーロッパツアーを行っている。

 以下のインタビューは、渡欧前となる10月に収録したものである。そこで彼女は、最新作『Time』の制作背景を中心に、デビューから現在に至る経緯や、自身のアーティストとしての姿勢、さらに今後のビジョンまで、率直に多くのことを語ってくれている。

__Sapphire Slowsとしての音楽活動をはじめたきっかけを教えてください。

Sapphire Slowsとしての活動を始める前、当時大学生で、レコードを買いつつ、インディーのイベントとかにも遊びに行っていました。ニューウェイヴっぽいバンドでベースを弾いていたんですが、曲作りとかにはあまり参加していなくて、ライブで弾いているだけでした。でも、そのバンドがきっかけで、色々なインディーシーンの人たちや、それこそCUZ ME PAINと知り合うきっかけにもなりました。

メンバーがそれぞれ皆社会人になるとか家庭ができるとかいろんな理由で別れていって、自分でできることをしたいなと思っている時に、東日本大震災があったんです。ちょうどその頃、就職活動中で、ジャーナリストになりたかったので出版社とかを受けていたんですが、最終で落ちちゃったりして、結構疲れていました。

ただ、落ちてしまった理由もよくわかっていて、震災があってその報道を見ているうちに、自分が決めていた就職の軸がブレてしまって変な感じになってしまって、どうしようってなってしまっていたんです。その時に一度就職活動を休んで、自分が本当にやりたいことは何かということを考えようと思いました。

落ち込んでいたし、憂鬱だったので、家にこもって曲を作り始めて。その1年くらい前に、何かやりたいと思ってMacBookを買っていたけど、曲作りは全然やっていなくて。それで、2011年の4月に曲を作り始めて4月から5月で最初の3曲か4曲とかできて、Bandcampにアップロードして、何となく〈100%Silk〉にメールを送ったらリリースが決まって。

それにびっくりして、リリースのこととかわからないのでよく通っていたレコード屋さんのBig Loveに行って、オーナーの仲さんに、「実は音楽を最近作り始めていて……」と話をして、「実は〈Not Not Fun〉から出すことになったので、ちょっとテンパっているので、アドバイス下さい」と話して曲を渡して帰ったんです。

何日かしたら、「ウチからも出したい」と仲さんからメールが来て、もっとテンパっちゃって。元々〈Not Not Fun〉が出すって言っていたから、「じゃあ、ウチ用に新曲2曲作って下さい」って言われて、1週間か2週間ですぐ作ってリリースしました。

それで、〈Not Not Fun〉からリリースされたのが、『True Breath』。それを作ったのが最初なんだけど、正式なリリースは〈Big Love〉からの「Melt」が最初になります。

__最初は、どんな機材を使って制作を始めたのでしょうか。

バンドで使っていたのがAbletonで、使うのを見ていたからAbletonを買って、後はハードオフに行って、ハードオフにジャンクのキーボードがたくさんあって、カシオのSK-1とか、カシオトーンとか、ああいうチープな音のキーボードが好きだったので、集めてきました。YamahaのRX-15っていうリズムマシーンも。500円ぐらいで半分壊れているのが売っているので。

なぜそういうのが好きだったのかわからないけど。 SK-1が実家の押し入れにあって、子供の時にトイキーボードとして使っていたんです。80何年製かな? 私が子供の時に発売されている世界初のサンプリングキーボードなんですよ。おじいちゃんがハイテクおじいちゃんだったんで、最新の技術みたいなのをすごく好きで、そのSK-1も私たちと私のいとこたちにも買い与えていました。私はいとこが持っていたSK-1も貰って、2台手元に集めて。サンプリングもできるし。

__Sapphire Slowsというアーティスト名の由来を教えてください。

イニシャルを揃えたかったというのと、S.Sとか。あと、そんなにジェンダーバイアスがかかっていない名前にしたかった。でも、同時に女性らしさというよりはしなやかさとかも感じるものにしたかった。それで色々考えて、語呂とか組み合わせとかも考えて、しっくりきたのが、”Sapphire Slows”でした。何か意味があるとかではないです。

__2013年にアルバム『Allegoria』をリリースして、2016年に〈Big Love〉から「Confession」がリリースされるまで、およそ3年間リリースがありませんでしたが、その理由を教えてください。

タイミング的にファーストアルバムを出した直後で、これからどういう風にやって行こうとかな、とかなり思い悩んでいる時期でした。ファーストアルバムを出して、3週間で19回とかの公演をカナダ、アメリカ、メキシコまで行ってやって。ニューヨークのフェスで「CMJ Music Marathon」とかにも出たり、GrimesとかFKA Twigsとかを手がけていたPR会社と契約してやり始めて、音楽業界で自分はこれからどうやっていくかとか考えたり、いろんなことが周りであったんです。

__かなり周囲が注目していたんですね。

いや、そうなのかもしれないけれど、私自身は、訳がわかんなくなっていました。それに正直、注目されてる実感はあっても作家として音楽自体が評価されてるっていう実感はあまりなかったです。売り物になるのか品定めされてる感じっていったら言い過ぎかもしれないけど、注目されてるのになんで300枚とかしかプレスしてないレコードが売り切れないんだろうとか、音とか条件がまともなショーにブッキングしてもらえないんだろうとか。そういうのがずっと気持ち悪かった。

__大学を卒業して1年目くらいでしょうか?

そうですね、そのまま大学院に入ったんです。音楽作っている最中にデビューすることになって、このまま卒業して社会人になるのも難しい状況だったので、大学は専攻が芸術教育だったんですけれども、進路を変えて音楽研究にして、藝大の毛利嘉孝先生の研究室に入って音楽社会学を専攻しました。その時色々旅をしながら各地のアンダーグラウンドな音楽コミュニティを観察しつつエスノグラフィーを書いていたので、それをテーマに修論も書いたんです。ちょうどいいタイミングなのですが実はもうすぐ、その一部が書籍になって出版されます(11/23日発売『アフターミュージッキング−実践する音楽』東京藝術大学出版会)。当時、自分が今やっていることをやりながら学べる大学院はどこかと探して、毛利先生の所に自分のアナログのレコードを持って行ってご挨拶をしに行きました。音楽研究なので楽器演奏の試験とかはなかったんですけど、院試のために音楽史は必死に勉強しました。

大学院に在籍している間に、ヨーロッパもアメリカもアジアも全部行って、一通り自分の中でまだまだ駆け出しだったけれども、いろいろ経験した上で、自分がこれからどうなりたいかというのを一度立ち止まって考えたかった時期でもあったんです。その時に自分の私生活の変化もあって、ちょっといい時期かなと思って、ちょっと一度立ち止まってみてもいいかなと。

自分のプロダクションの限界とかもありました。あと、自分が東京で音楽活動をしている中で、見られ方として、ちょうどその頃、日本の音楽誌とかイベントのプロモーションでも「女性ベッドルーム・プロデューサー」みたいなまとめ方がたくさんされていて。Grimes、Nite Jewel、Laurel Haloとか他にもたくさんいるんだけど、自分も含め、みんな全然違うのに一括りに捉えられている事になんだか違和感がありました。自分で曲を作ったり、マシンを操る女性が音楽の内容以上に特別視される意味もわからなくて。ファッションの仕事とかも貰えて、いろんなことがある中で、自分の音楽的な軸がわかんなくなっていた時期でもあったんです。

この時期、Big Loveはずっとホームであり続けたけれど、それ以外で現実的に自分の音楽を支えてサポートし続けてくれていたのは、インディーシーンよりテクノシーンの人たちでした。それが今ずっと一緒にやっているMNML SSGS(ミニマル・ソーセージズ)の人とか、ruralとか、DOMMUNEの周りとかそういうシーンの人たちで。段階的ではあるけれど繰り返しブッキングしてくれて、育てようとしてくれてる、音楽をリスペクトしてくれている、って感じられて。自信もついてきたし、それに答えたいとも思うようになってきました。

自分が音楽を作っている中で、自分のクラブ体験とかが豊かになってきて、最初は全くわからないし気にしていなかったプロダクションのクオリティとか音の良さとか、あと体験としてエレクトロニックミュージックとかサウンドとかを考えるようになって、同時にDJもたくさんやるようになって、自分の中でDJをやることと、クラブ体験と、プロデュースがお互いにすごく良い影響があるなと思ったんです。最近やっと上手く作用し始めた感じがしています。でもその時はまだちょっと距離があって、どういう風にお互い絡み合っていけばいいかなという感じだったんだけど、そういうビジョンが自分の中でありました。

どういう風に説明したらいいかわかんないんですが、アンダーグラウンドミュージックが成立する上で、いくつか道があるように思える中で、当時、自分が向かっていたようなルートで、どんなにいい音楽を作っていても、ずっと長続きしているアーティストとか、自分の人生とかプライベートとかを音楽のために犠牲にせずにずっとやっていけているアーティストっていうのが周りミュージシャンを見ていてもあまりいないように思えて。一時期だけもてはやされるのは嫌だったし、捨て駒みたいに消費されたくなかったし。

最初の頃は、完全に、自分が意識せずに、そこに自分が向かっている感じがしていました。自分ではコントロールができない音楽業界のレールに乗り始めているというか。それをすごくラッキーだとも思うんですけど、自分がどこに向かってどういう風にして行きたいのかということを取り戻したくて、今、頑張っています。時間がかかってもいいから、音楽を作り続けられる環境に身を置きたい。経済的にも精神的にも。

自分の中でそういうビジョンとか行き先とか周りからの見られ方とかを一生懸命コントロールしようとしていた3年間でした。リリースしていないから、DJをたくさんしたり、機材とかを見直したり、シンセサイザーの本とかを買って読んだりもしました。今でも一から全部アナログシンセで作るとかはしないんだけれども、その仕組みがわからないとこういう音に近づけたいとかができないから、いつも曲を作りながら、曲の作り方を学んでいます。作りながらプロダクションを自分で学んでいて、ミックスとかプロデュースとか、前よりもずいぶん良くなったと思います。

同時に、そういうことに集中しすぎてクリエイティビティが逃げて行ってしまうことがあるので、そこはバランスなんですけども。自分のプロデュース力のアップデートとDJとしての経験を積んでいくことと、自分の音楽性の行く先とかビジョンとかと腰を据えて見つめ直す時期というのが、この3年間でした。

__では、2015年に参加された『Red Bull Music Academy Paris 2015』は、トップアーティストからいろいろ教えてもらえる機会になったと思うのですが、RBMAへの参加は、自身の音楽活動にどのような影響を与えましたか?

私の場合、タイミングとしてすごくプラスになりました。当時、「Sapphire Slowsは今何しているんだろう?」と思われるのがすごく怖いという状況で、ストレスになっている状況で、リリースはしてないけれども活動はしているということを見せることができて、すごく自分としては安心感もありました。

周りはいろんなジャンルの違う若いアップカミングな人たちで、同じスタジオにいてコミュニケーションを取り合ったりしていて、トップアーティストの人たちがレクチャーしてくれて。トップアーティストのレクチャーっていうのは、テクニカル的にどうこうっていうよりも、彼らはやっぱり人生いろいろあるわけじゃないですか。その人生の体験談を聞くわけだから、彼らの人生の大変な出来事を聞くことができて、自分の人生の励みになりました。

RBMAに参加するまでの自分の音楽人生の中で、「こういうはずじゃなかったのに」と思うようなネガティブなところから、「これからどうやっていくか」というポジティブところまで、客観的に見ることができたんです。

__次に今回の新作『Time』について聞かせてください。まずは、pattenの主宰するロンドンのレーベル〈Kaleidoscope〉からのリリースとなっていますが、そのきっかけを教えてください。

休止期間に入る前の私の最後のヨーロッパツアーが2014年の7月にあったんですけど、その時のチェコのフェスでpattenもプレイしていて、行きの空港から会場への車が一緒で、そこでいろいろ話をしました。その後、頻繁に連絡を取り合ってはいなかったんだけれども、しばらくしてデモを送ってくださいというメッセージが来て、それで送っていて。ちょうど何もリリースしていない時期だったんですけど、『Time』自体の曲は結構前にできていて、2016年のはじめ頃には完成していたのを、どこから出すとか決めていなかったんです。いろんなレーベルと連絡を取り合う中で、最初アナログで出したいと思っていたから、どうしようかなと考えている時に、(pattenの)Dから連絡があって、デジタルでという話だったけどそれもはじめてだったので実験としてやってみたくて、それで出そうということになりました。

__「Confession」はどのような経緯でリリースされたのでしょうか?

その頃作品しては一応まとまっていたので、〈Big Love〉にも送って、レーベルを探していることを相談して。それで、シングルとして、「Confession / Piece Of You」を7インチにしてくれました。

__『Time』という作品全体としてのテーマがあれば、教えてください。例えば、どのような作品を目指しましたか?

作っている最中はすごくもがいている時期で。作っていくものがすごくボーカルフィーチャーな曲が多くなっていて、3年空白あってこれを出したら、「やっぱりSapphire Slowsはインディーポップ志向のシンガーソングライターだ」って思われるんじゃないかと思っていました。それは、結局、〈Nous Disques〉から『The Role of Purity』を出したから変わったんですけど、その前は、結構悩んでいました。でも、自分が作る曲っていうのは、その時はいっぱいいっぱいだから、コントロールできなくて。

でも、最初はもやもやしていたのが、今は全然もやもやしていなくて。「Time」っていうタイトルになったのは、「Time」っていう曲自体は、元々、〈Big Love〉の春果さんと一緒に作った「Time」っていうタイトルのジンがあって。それは、フォトポエム・ジンで、そこに私が書いていた詩が「Time」の歌詞なんです。

「Time」は、結局自分がもがいていた3年間の時間(Time)を象徴するものと思っていて、そのタイトルを使うのがしっくりくるし、自分としては抜け出した、生まれ変わったと思ったし、自分が今まで重ねていた時間があって、新しくもないけど、またやり始めようと思ったという意味があります。

次の自分が出ているということでもあり、過去の自分の集大成でもあります。今までの自分が取り組んできたこと、曲作りの努力とかそういうものが全部入っています。そこで、『Time』っていうもの出して、同時にポップスの呪縛から解き放たれた気がします。今までの中で一番ポップなアルバムなんだけれども、同時にカルマを乗り越えてスッキリしたような。だから今は、どんなポップなことをやっても、どんな実験的なことをやってもいいやっていう気がしていて。そういうすっきり感がすごくするんです。

__それは何かをやり切ったと思ったからでしょうか?

ベストを尽くしました。ポップスという枠の中で、どうやってそれぞれの曲をアンダーグラウンドな音楽の要素で構成するかとか、すごく曲に色々込めて。でもその枠自体がもういいんじゃないかな、いらないんじゃないかなと思っています。自分が自分にかけている制約、歌わないといけないとか、アンダーグラウンドないろいろな音楽の要素を取り入れながらも、Sapphire Slowsというシンガーソングライターとして振る舞うみたいな制約はもういらないと思います。それが、自分で自分にかけていた制約なんじゃないかと思う。周りからそのいう風に期待されていると自分が思っていただけで。

__「Confession」は、平田春果さんによる歌詞で、対訳のタイトルでは、「懺悔」となっていましたが、この曲について詳しく教えて下さい。

春果さんが詩を送ってくれたんです。その時私は「Confession」っていう曲に取り組んでいて、絶対いい曲になりそうなのに行き詰まっていて、その時に春果さんが 歌詞を送ってくれたんです。それにメロディを乗せようと思ったら歌詞とメロディがぴったり合ったんです。春果さんにとっての「懺悔」は何かわからないけど、私にもその頃口にできない「懺悔」がいくつかあって、タイトルに共感したんですよね。すぐには解決できなかったんだけれど、その苦しさも、この曲で昇華できたかもしれない。

__「Reach Out Your Hand To Me」について教えて下さい。例えば、歌詞が、”I don’t wanna blame myself” (自分のことを責めたくない)から始まりますが、どのような背景があるのでしょうか。

その歌詞は、そのままその時の自分の心情です。アーティストしてこうあるべき、こうあるべきではない、こういう風に見られたい、こういう風に見られたくないというのを自分で葛藤していることを、すごく人のせいにしていたんです。自分はこうなのに周りは自分のことをわかっていない、とか負いたくない期待をされている、とか。それが結局全部自分で自分に負わせていた制約なんですけど、その時は結構悩んでいて、音楽業界とか、見えない他者というものを自分で作って、それは結局自分自身なんだけど、それに疲れていました。

でもそれを抽象的に、割とロマンチックな歌詞にしようと。自分の中で溜め込んで、はまった中に抜け出せなくなっているのを「You」とかの二人称でロマンチックな歌詞にしようとしました。でも実際の状況としては、一人ではまり込んでいるという感じです。

私が書いている歌詞はそういう歌詞が多いです。だいたい、歌詞を作るのはいつも最後なんです。メロディに合わせる単語を選んでいくっていう作業でもあるんだけれども、わりと自分の中の闇ですね。「Time」の収録曲はさっきも言ったけれどポップスの枠で取り組んでいたので歌詞も恋愛っぽく書くとか、二人称で書くっていう制約みたいな中でやっていたつもりです。なんというか、ポップスの見えないルールというかポップスのゴーストに取り憑かれてる感じ。「Time」のプロモーションの仕方も実はそうで、ミュージックビデオを何本作って、こういうスケジュールで順番に出して、ラジオのプレミアをやって、とか。PR会社は使わずにレーベルと話し合って計画したんですけど。自分の中では、数年前にPR会社とかアメリカのショーケースでモヤモヤしていた部分を逆に開き直って自分できっちり把握してやろうという試みでもありました。

ちなみに『True Breath』の時とかは、二人称ですらなくて、もっとエクスペリメンタルな歌詞です。情景描写とか心理描写を抽象的に記述していました。『Time』は自分の中で、より具体性を意識しました。

__「The Edge of My Land」のMVは、Torn Hawk(Luke Wyatt)が制作を担当していますが、詳しい制作背景を教えてください。なぜ彼を起用したのでしょうか。

私は彼が昔から大好きなんです。何年か前、ニューヨークに行った時、Torn Hawkが、私が泊まっていたミュージシャン友達のルームメイトだったので、みんなで飲んだりとか、共演したりして知ってはいたから、ちょうどTorn Hawkが東京に来日している時にショーを見に行って、一緒に街をブラブラしたりして。

それより前にRed Bullから話をもらっていて、撮りたいのがあったらRed Bullで撮っていいよと言われていたんです。じゃあ、それなら好きな人とやりたいなと。Red BullスタジオでRed Bullのスタジオの機材を並べて演奏するハイクオリティな映像を撮影しますというのが一番嫌だったから、それからかけ離れたものを作ろうと思って、Luke(Torn Hawk)に頼んだんです。

Lukeに最初言い出しづらくて、やりたくないかなと思って。でも言ってみたら、「早く言ってよ、やろうよ」と言われて。でも、「ぼくはニューヨークに帰るから、打ち合わせして、それをクルーに詳細を伝えて、僕はいないけれども撮影をしてそれを送ってもらって、僕が編集するから」と(笑)。Red Bullにいつもすごく協力してくださる方がいて、アーティストがやりたいことのために会社に頭を下げまくって、駆けずり回ってくれる方がいるんですけど、その人がすごい頑張ってくれて、本当は、Red Bullのライトのロゴを映像の中に入れてくれと言われたけれども、入れなくてもよくしてくれて。もちろん、ちゃんとクレジットは入れているんですけれど、最小限でよくしてくれました。

私たちは、Lukeから聞いたとおり、スタジオを全部グリーンスクリーンで張って、花びらで、花だらけにして。参考映像がLukeから送られてきたけれど、全部わけがわかんなくて、チームがすごく混乱していて、もう何をすればいいかわからないような状況でした(笑)。

そんな中、ものすごいハイレゾで撮った映像が全部ぶっ壊されていて、もう最高と思いました。大変でしたけど、面白かったです。結局はすごく満足いくものになりました。すごいハイレゾで撮って、グリーンスクリーンを張っているのに、そのままグリーンスクリーンを使わず、アナログで編集されていて、すごくシュールだったし、すごく深いなと思いました。私は、ドレスアップして、ポップシンガーっぽいんだけど、それを皮肉っているっていうような。真剣そのものなんですけれど。そういうビデオです。関わった人はみんな、これでいいのかと混乱していました(笑)。撮影が終わったときは、みんなすごいきれいなのが撮れたねって感動していたんですけどね(笑)。

__もうひとつの映像で、「Into Silence」ですが、Seiya Miyamotoさんのパフォーマンスが中心になっています。この映像についても聞かせてください。

この映像のプロデューサーは私じゃないのですが、このビデオは、友達のクリストファー・ハンシーっていうオーストラリア人のデザイナーがいるんですけど、彼がまだファッションの専門学校にいるときに知り合って、いつか一緒にやりたいって言ってくれていたんですが、急に連絡がきて。彼のファーストコレクションのビデオを撮るから音楽を使わせてほしいっていう。それで、ディレクターのロリスっていうフランス人のディレクターもちょうどその時東京にいて制作することになりました。

そのブランドのコンセプトが、土から生まれるっていうので、下に這いつくばっていく感じの。だから、Miyamotoさんがやっているような暗黒舞踏のスタイルとも重なるところがあるし、確かMiyamotoさんが所属していた舞踏団体のコスチュームデザインとかにクリスが関わっていたんじゃないかな。そういうつながりがあってやることになって。それで、「Into Silence」ってアルバムの中でも際立ってポップだからボーナストラックにしたんだけど、ビデオは対照的なものにしたくて、気持ち悪いものにしたいねっていうのをクリスとロリスと三人で話し合って。「Spring Madness」だったかな、テーマは。曲と対照的な気味の悪さみたいなものをっていうことで振り付けも考えてもらいました。

Part2につづく)

Time:
1. Confession
2. Haunts You
3. My Garden
4. Piece of You
5. Reach Out Your Hand To Me
6. The Edge of My Land
7. Time

Cover Photo by Cédric Diradourian
Layout by Sapphire Slows

インタビュー・文: T_L
アシスタント: 平田梨紗
1997年生まれ。青山学院大学総合文化政策学部在籍。