- INTERVIEWSJune/07/2017
[Interview]Jean-Michel Blais − Il
Jean-Michel Blais(ジャン-ミッシェル・ブレ)は、モントリオール出身のピアニスト。幼少期から鍵盤に触れ、クラシックを学んでいった彼は、南米やベルリンへと渡り、モントリオールに帰国。そして昨年、カナダのレーベル〈Arts & Crafts〉よりデビューアルバム『Il』(イル)をリリースする。
アルバムには、クラシックの枠に収まらない、独自の個性を発揮した新たな才能を感じさせる楽曲たちが収録されており、そのクラシックのテクニックとポップスを愛する感性から生み出されるロマンティックなメロディーは、彼の言う「音楽との対話」を聴く者に促すような響きを持っている。
今回、アルバム『Il』の国内リリースに合わせ、そのコンセプトや楽曲の制作過程、さらにより広義に彼自身の音楽についての経験や価値観など、様々な角度から話を聞いてみた。
__子供の頃からピアノに触れて育ったということですが、ピアノを始めたきっかけは何ですか。
実は、ピアノを始めたのは最近のことなんだ。それまでは電子オルガンが家にあって、9歳の頃から、プラスチックでできた人工象牙の鍵盤を触りはじめた。私はそのコードやサウンド、チープなプリセットのビートに強く惹きつけられて、自分の耳で想像できるすべてのことをやったよ。ピアノがどんな音を出すのか本当に知ったのは最近のことで、今でもその探求は日々続いている。
__11歳のときに楽曲制作を始めたとのことですが、制作を始めた頃に影響を受けたアーティストがいたら教えてください。
私はパッヘルベルのようなクラシックの作曲家とか、80年代のフランスのポップミュージックみたいな生っぽさと奇妙さが混じったサウンドに影響を受けていた。あとは、ケルト音楽とかアンデスやバルカンの音楽かな。オーケストラの壮大なサウンドに傾倒していたし、ポピュラー音楽のキャッチーさとか、ペンタトニックスケールの普遍性といったものにも惹かれていたよ。
__17歳でTrois-Rivers Music Conservatoryに招待されたとき、そこで学んだ経験はどのようなものでしたか。印象的な出来事などありますか。
音楽が突然自分の生活の中心になったよ。そこには自分と同じ情熱を持った人たちがたくさんいた。私は学ぶことに飢えていて、むさぼるように勉強した。バッハやベートーベン、ドビュッシーを分析して、オルフを合唱して、グラスやライヒ、ケージを聴覚室で聴いて、和声や対位法、音楽史を学んだ。すべてが理にかなっていると感じたよ。私はいつも即興したり、他の楽器に挑戦したり、パフォーマンスの前に聴衆に話しかけたり、スリッパで遊んだりすることを楽しんでいた。私にとって、そこは学ぶため、成長するための遊び場のようなものだったんだ。
__ベルリンや南米に渡ったのはなぜですか。そこで何を得ましたか。
南米に渡ったのは、罪の意識からなんだ。白人という特権を持って生まれて、中流階級の家庭に育った自分には、違う世界を発見することが必要だったし、自分自身の居場所はどこなのか、見つける必要があった。ニカラグア、グアテマラ、ボリビア、そしてペルーという国は、真実に近づくための方法をそれぞれ教えてくれた。たとえば逆境を前にして微笑んでいることや、不正に立ち向かうこと、他人の人生に自分が影響を与えることはほとんどできないのを究極的に知っていることなど。私はそこで一年ほどスペイン語を学んで、旅して、働きながら勉強して、できるだけそこでの生活に浸る努力をしたんだ。
ベルリンに行ったのは、文化を知りたかったから。私はいつもドイツの人々に感動していた。カントやヘーゲル、マルクス、そしてニーチェを読んで、バッハやベートーベン、シューベルト、ワーグナーを聴いた。ベルリンは一世紀以上にわたってエキセントリックで革命的な都市であり続けている。環境面、政治面、それ以外の風変わりな問題における進歩や、もはや疑い得ない、豊かなエレクトロニックミュージックの文化を見ることができる。だから一年以上ドイツ語を学んで働いて、そこでもできるだけその場所に溶け込めるように努力したんだ。
__海外からカナダに戻ってきてデビューをすることを決めたのはなぜですか。カナダという地にどのような意味がありますか。
カナダ、ケベック、モントリオールという場所は、私にとってホームなんだ。私の精一杯の努力をもってしても、南米やヨーロッパでは、よそ者のまま。私にとって自分のホームタウン(家族、友達、そして自然のある場所)から1時間で行ける距離に、モントリオールの文化的で自然豊かな、異言語の飛び交う、エキサイティングだけどいまだにのんびりとした空気の漂う、自分の住む場所があることは何よりも幸せなことだよ。
__曲作りで影響を受けるものや、曲をつくる際のこだわりは何ですか。
私にとって曲を作ることは日記を書くことと同じなんだ。ほとんど毎日、即興も含めて演奏することは、私にとっては瞑想のような行為で、自分が世界とつながっていることを感じさせてくれる。自分の経験が音楽に姿を変えて、言葉では言い表せなかった感情が、音楽を通して表現できるようになる。自分が何を見たのか、描き出すことができる。
人々が私の音楽を聴いて、まるで音楽が自分たちに話しかけているようだった、という感想を持つ、その理由はこういうところにあると思う。聴衆と音楽の間には確かに、対話が存在しているんだ。そして私は、その単なる伝達者にすぎない。私は、人生そのものについて、そしてそれがどのように疑いや希望、不安定さや強さといったものに満たされ、緊迫した、または穏やかな時に包まれるのか、といったことを教えてくれる女神たちに、自分自身を明け渡しているんだ。
__自身の現在の演奏スタイルをどのようなものだと考えていますか。
自分の演奏スタイルは、私が受けてきた影響と、私をいま取り巻いている世界の両方を反映したものになっていると思う。クラシックの訓練を受けて、対位法の要素のあるポップスの構造を持ち、わずかに拡張させたコードと、とてもロマンティックな、ミニマル・ミュージックのようなサウンド、そして抑揚のあるキーボード。他の多くのピアノ曲の作曲家と大きな違いはなく、他の素晴らしいアーティストのような才能はないけど、私は音楽に話をさせることができる。数年前、自分は再生マシーンや完璧な技術者になるのではなく、シャイで、魅力的で、即興的な、エモーショナルなパフォーマンスをしようと決めたんだ。
__アルバム『Il』は、どのようなコンセプトで制作されたのですか。制作背景を教えてください。
『Il』は、私の頭の中からこれらのトラックを出してあげないといけない、という緊急の必要に迫られてできたアルバムなんだ。それまでは、ちゃんとした作品をリリースすることや、ミュージシャンになることに全く興味がなかったんだ。窓を開けっ放しにして、自分のピアノで「Zoom」のレコーディングをした(アルバムのカバーにもその様子が写っている)。二日間におよぶ徹底的なレコーディング作業をしつつ、作品に息を吹き込むことができるように努力したよ。私は、ベストなピアノのサウンドを、ベストなスタジオで録音するということに絶望して(経済的にも、と言わなければいけないね)、代わりに、原点に回帰して自分のアパートで、自分のピアノを使ってレコーディングを行うことにしたんだ。
__『Il』というタイトルの意味を教えてください。
「Il」という言葉は、フランス語で「He(彼)」や「It(それ)」を意味する言葉なんだ。最初はローマ数字の2(Ⅱ)だという誤解を招いたけど、これは私が大胆にもファーストアルバムとしてリリースしようとしていたタイトルなんだ。最初に作ったものというのはあまりにも自伝的で、公にするには個人的過ぎてしまうと気づいたから、『Il』は擬人的でなく、誰のことを話しているのかはっきりとはわからないようなものを意味する作品にしたかった。私は聴衆に対して、この作品が何を意味しているのか、考える余地を残したかった。私自身が音楽に対してしているように、映画のサウンドトラックを考えるときのようにね。
__「Nostos」はBuffloがプロデュースとエンジニアリングを手がけています。彼とのコラボレーションはどのように実現しましたか。制作背景を教えてください。
BuffloことDevon Bateとは大学で出会ったんだ。彼に『Il』のプロデュースをやってくれないか、と頼んだとき、まさか本当にやってくれるとは思っていなかったよ!「Nostos」は内向的で、体系化されておらず、私の心の中の隠されたピースのようなものだった。私はある夜、何の気なしにそれを彼に見せた。彼は『Il』にこの曲を入れたがっていたけれど、私は明らかに編集がたくさん施されたこの作品を、こんな巧妙に作られたアルバムに加えたくはなかったんだ。彼は私に心変わりさせるために、一晩中レコーディング作業をした。翌朝、私はついに折れたよ。こうして「Nostos」は生まれて、アルバムの中でもメインのシングルになって、ヒットも果たした。彼にはすごく感謝している。
__あえて話し声や物音が入っているトラックがいくつもあります。どういう意図でこのような音を入れたのですか。
あえてこういった音を入れようとしたわけではなかったんだけど、それを取り除くこともしなかったんだ。即興性に重きを置いて、いま、この瞬間に集中する。部屋の外と廊下にもマイクを置いて、雑音がピアノの音を邪魔しても、そのままにしておいた。私は個人的にこの方法はすべてにおいてうまくいったと考えていて、これは私の演奏にも、聴衆の理解にも影響を与えたと思っている。
__今年3月にエレクトリック・アーティストのCFCFとの共作となるアルバム『Cascade』をリリースしています。CFCFとのコラボレーションはどのようなものでしたか。また、どのような経緯で作品を制作することになったのでしょうか。
Red Bull Music Academyが私たちを出会いに導いてくれて、二人で一時間ほどのライブをやってくれと頼まれたんだ。何回か会ったあと、私たちは異なる音楽的な背景を持っていながら、お互いに共通な活動の場を持っている(互いに知らないまま近所に住んでいるような感覚)ことが分かった。そこで、ピアノとAbleton(作曲や演奏のできるDAWソフト)のフュージョンをしようということになって。彼のサウンドと私のサウンドを部分的に使って、ミニマル・ミュージックのような雰囲気を基本にしつつ、即興から脱構築まで、瞑想からトランスへ、ジョン・ケージから和声的なものまで、さまざまな要素を網羅するようにしたんだ。レーベルもライブを気に入ってくれた。アルバム『Cascade』自体は、半日スタジオにこもって仕上げたよ。
__今後の予定を教えてください。来日公演の予定などはありますか。
最初に、私はアーティスト(フルタイムの、という意味で)になったんだということを自覚しなければいけないと思っている。一年前のようにはいかないよ。これを達成するために、北アメリカでたくさんのライブを予定している(カリフォルニア、トロント、モントリオール、そして私の愛するプロヴァンスで)。もちろん日本でもプレイできる機会があったら素晴らしいね。あとは、次のLPのレコーディングも始めている。今からみんなに聴いてもらえるのが楽しみだよ!
注:質問作成にあたっては、公式サイト及びプレスリリースを参照した。
Il:
01. Hasselblad 4 (improvisation)
02. il
03. Dada
04. Nostos (feat.BUFFLO)
05. Ad claritatem Domine
06. Hasselblad 2 (improvisation)
07. Budapest
08. Casa
09. pour Johanne
10. Rondo majeur (trois mains)
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1996年生まれ。青山学院大学総合文化政策学部在籍。和声やソルフェージュ、楽典などを学びながら幅広いジャンルの音楽を楽しむ。