ARTIST:

Lana Del Rey

TITLE:
Honeymoon
RELEASE DATE:
2015/9/25
LABEL:
Universal Music
FIND IT AT:
Amazon
REVIEWSOctober/14/2015

[Review]Lana Del Rey | Honeymoon

 ラナ・デル・レイの魅せるアンニュイでメランコリックな表情、歌声、シネマティックな映像表現から何を想うだろうか。筆者には「抑圧された女性像」が頭から離れない。それはある意味、フェミニズムからの退行とも言えるが、彼女はむしろ伝統的な女性像を追及することにおいて、女性の美学を見事に表現してみせたのかもしれない。

 彼女は以前にブロンドヘアのLizzy Grant名義で活動しており、その当時から彼女の艶麗でどこか物憂げな表情、歌声は現在のラナ同様、根底にあるインスピレーションは定着していたようだが、さらに成熟した彼女の世界観がアルバムを追っていくごとに感じとることができる。2012年のメジャーデビューアルバム『Born to Die』は11カ国のチャートで1位、全米売上110万枚を記録し、成功への階段を駆け上がることになるが、アイコニックなヴィジュアルと完成されたその音楽と映像表現は他のアーティストと一線を画し、多くの人を惹きつけてみせた。彼女の音楽からは、映像表現とともに何十年もの前の時を追憶したかのようなノスタルジックな心象風景を想起させる独特の美学を見出すことができる。特にデビューアルバムでは、アコースティックでレトロなサウンドの中にもエレクトロ、ヒップホップの要素を絶妙に織り交ぜることによって心地のいい一体感が生まれている。続いてEP『Paradise』をリリースし、グラミー賞で最優秀ポップ・ボーカルアルバム賞、映画『華麗なるギャツビー』に提供した楽曲「Young and Beautiful」は最優秀映画・テレビ・映像メディア楽曲賞にノミネートされるなど、ラナは音楽の枠を超えて映像表現においても人々を魅了してみせた。2014年リリースのアルバム『Ultra Violence』は、テンポを落とし、ギターサウンドに重点を置いた、サイケデリックでメロディアスな楽曲完成度も一段と高いアルバムとなっている。これらの進化を踏まえて多くの人は今作『Honeymoon』をどのような期待を持って迎えただろうか。

 全体の印象としては前作よりもさらにダークで、眠気を誘うようなテンポとオーガニックなエフェクトによって、ラナのより強いこだわりが表面化したように感じ取れる。このことは、今作以前の楽曲でも垣間みることのできたラナが体現する「女性像」にヒントがある。「Blue Velvet」を例にとろう。この楽曲はBobby Vintonのカバー曲であり、ラナ出演のH&Mショートムービーとしても記憶に新しいが、一番に想起できるのはデヴィッド・リンチ監督の映画『Blue Velvet』だろう。欲望と暴力に塗れた倒錯的な人間関係の中に垣間見える、主人公ドロシーのどこか儚い姿は何故かラナと重なってしまう。ドロシーがスロークラブで『Blue Velvet』を青いライトを浴びながら歌う姿、フランクという暴力的存在から抑圧されつつも、依存関係にあるその矛盾はラナが歌う「サッドコア」に近い世界観があるのではないだろうか。

 ラナの楽曲はバズ・ラーマン監督映画『華麗なるギャツビー』、ティム・バートン監督映画『ビッグ・アイズ』などにも提供されているが、ここにも依然として共通したテーマが残されている。『華麗なるギャツビー』において、ショートヘアに豪華なドレスを身に纏い煙草を片手にパーティーを楽しむフラッパーガールの姿は、1920年代のアメリカの女性社会進出における女性の伝統的な生活様式との断絶と享楽性を示唆しているが、デイジーがトムと結婚してしまうことは、当時の社会的立場に囚われ、抑圧された女性像を匂わせている。また、『ビッグ・アイズ』においても1950年代アメリカにおける女性の社会的立場の弱さとその苦悩が物語の大きな背景となっている。離婚後に子どもを育てるため、職を探すのではなく夫を探すことが賢明とされ、夫の嘘を世間に口外できず、家に閉じこもって絵を描いては、自身の絵を夫の絵として売る主人公マーガレットの儚い姿は、ラナの歌声とやはり一致してしまうのだ。しかしながら、このような当時のアメリカにおける「抑圧された女性像」をフェミニストとは違う視点から歌うのがラナの美学と言えるだろう。

 例えば「Religion」における“Cause you’re my religion, you’re how I’m living(あなたは、私の宗教、私の生き方だから)” “Hallelujah, I need your love(ハレルヤ、あなたの愛が必要なの)”といった歌詞や「God Knows I Tried」のコーラス“God Knows〜(神は知ってるわ…)”に表されるように、依存的な恋愛関係を保たずにはいられない直向きで儚い女性の姿を、神聖さや従順さといった宗教的な意味合いと重ね合わせるアレンジからはラナ独自の耽美主義的なこだわりが感じとれる。また、冒頭の「Honeymoon」における恋人の過去の暴力沙汰も怖くないと歌うそのバックサウンドのヴァイオリンの音色はこれからの二人の闇を暗示しているようだが、それでもなお失うものは何もないと歌うラナの悲しく、退廃的な世界観は、まるで一人の女性の持つ破滅的な運命とその物語を聴かされているようである。幸せにはなれないと知りながらも、なお愛することを止めずにはいられない、そんなメロドラマを彷彿とさせる歌詞は、1940年代のフィルム・ノワールにおける悲観的美学をも連想させる。

 果たして、ラナ・デル・レイはファムファタルなのか、儚く悲しい願いを歌う抑圧された女性なのか。どちらにしても愛は破滅へと向かう、そんなサッドコアを歌うシンボリックな女性像として彼女は物語を語るかのように、美しい心象風景を世界へ魅せ続けている。

文・佐藤里江
1994年生まれ。UNCANNY編集部員。主にアート、映画分野を得意とする。青山学院大学総合文化政策学部在籍