INTERVIEWSNovember/23/2020

[Interview]Cuushe - “WAKEN”

 2015年にリリースされたEP『Night Lines』に続く、Cuusheの5年ぶりとなる新作『WAKEN』。今作には、これまでの夢のような物語を紡いだドリームポップの世界観とは異なる、より現実という輪郭を明確にした楽曲たちが並ぶ。音楽活動の中断を余儀なくされるような、さまざまな苦難や障壁を乗り越えて生み出された本作。今年6月には、新プロジェクト、FEMとしても活動をスタートさせたCuusheは、本作においてどのような表現を試みたのか。以下のインタビューでは、『WAKEN』のテーマを中心に、それぞれの楽曲や映像の背景について、さまざまなエピソードを語ってもらった。

__今作『WAKEN』は、およそ5年ぶりの新作となるアルバムですが、この期間、音楽制作において新たに得たことや音楽への向き合い方の変化などはありましたか。

そうですね、やっぱり事件に遭って、大好きだった音楽を作ることとかSNSと距離を置きたくなってしまって、何よりも生活を取り戻すことが先決で、制作を再開するにはたくさんの時間が必要でした。そんな中で、事件のことを知らなかった久野さんから映像に音楽をつけさせてもらう機会があって、それがすごく新鮮で充実した時間だったんです。そこから少しずつ制作のリズムを取り戻して、自分の存在や音楽に意味を見つけてくれた周りの人たちの力に助けられて、どうにか完成できた感じです。

今までアルバムを作る時はずっと海外にいて、まとまった時間と集中できる場所を作らないとできなかったんですが、今回は事件もあったり入院もあったり、そしてコロナもそうですが、そういうギリギリの環境というか、病院のベッドの上で完成した曲もありますし、落ち着かない日々の中でずっと作っていたので、それでも完成できたということにほっとしています。

__〈FLAU〉の公式サイトに、“It’s early morning. You wake up from a dream. It’s still dark. You’re full of uncertainty, but also hope. ”(早朝。あなたは夢から目覚める。まだ辺りは薄暗い。不安でいっぱいだけれども、希望もある)と記されています。この「目覚める」という言葉は、“WAKEN”というアルバムのタイトルにも見られますが、今作においてどのような意味を持つものなのでしょうか。

前のEPのテーマは「夜の葬列」だったから、次は目覚める時間というのは当初からはっきりとイメージがありました。“WAKEN”はイギリスの友人が付けてくれたタイトルなんですが、私自身被害者になって初めて、今までも見えていたのかもしれないけど、見ていなかった差別とか不平等とか社会の歪みとか数珠つなぎのように見えてきて、そういう気づきみたいなものを端的に表してくれたというか。そしてそれは自分の感情の所在の気づきでもあるんですが、見えてしまったからにはそこに対してアクションしたいけど、見えていること自体も苦しい。でももう無自覚な自分には戻れないし、戻りたくない。そういう感じです。

サイトのテキストはレーベルが作ったものですけど、心機一転みたいな感動物語では全然なくて、不安も希望もあるし、どちらも続いていく、ということですね。ブルーアワーのように影のない時間なんて現実にはまずないので。

__アルバムからのファーストシングルとなった「Hold Half」は、どのようなことをテーマにしているのでしょうか。また、“Palm Tree”(椰子の木)について歌われた箇所が複数ありますが、この曲における椰子の木は何を意味したものなのでしょうか。

この曲は、時間の流れとその残酷さや望みみたいなものを意味しています。椰子の木が家にあったんですが、自分が体調を壊したのと同じくらいの時に枯らしてしまって。信じていた何かとか時間を共にしてきたものとの別離や諦念からも新しい生活が続いていく、ということを歌っています。その物語の中心に椰子の木を置いて、ボーカルのメロディを変えていくことで時間の流れを表現してみました。

__「Magic」では、“Because you’re my magic” (あなたは私の魔法なのだから)や、“I want you to know you’re my magic”(あなたは私の魔法であるということをわかってほしい)といった歌詞があります。この曲の中での“magic”とは、具体的にどのようなことを表現しているのでしょうか。

“magic”という言葉は、自分の中の不可分で定義できない特別な何か、という感覚があります。人間関係に悩んでいた友人のことを歌った曲で、“magic”はその人そのものを表しています。もともと都会の夜のイメージがあったのですが、田島さんの映像の4次元的な映像の奥行きと、久野さんのアニメーションのストーリーが、時間や場所をも超える広大さを孕んでもっと大きな意味を作ってくれました。

__「Magic」のミュージックビデオでは、映像作家の田島太雄さんが監督、久野遥子さんがアニメーション・ディレクターとして参加していますが、映像のテーマなど含め、制作はどのようなプロセスで行われたのでしょうか。

田島さんとは元々Rayonsさんの「Waxing Moon」のリリースパーティーで知り合ってそこからのおつきあいで、MVでは田島さんがチベットへの撮影旅行から映像の世界観と流れを閃いて、久野さんのアニメーションを取り入れることになったそうです。

この曲のテーマがシスターフッドで、黙らないことや、存在を肯定すること、というのはお伝えしていたのですが、田島さんが用意した(MVの舞台にもなっている)チベットの民話からもインスピレーションを得て、久野さんがアニメーションのストーリーを作ってくれています。

__「Nobody」には、“You need to install “empathy” app/It’s time to notice it before it’s too late before it’s too late”(「共感」アプリケーションをインストールして/気づく時だよ 手遅れになる前に)という歌詞があります。歌詞のテーマと少しずれるかもしれませんが、例えば共感という意味において、SNS上でのコミュニケーションや繋がりについて、どのように考えていますか。

この曲で歌っている共感は相手の立場に立って考える、というシンプルなことです。SNSの繋がりは「いいね」や「わかる」といった共感をベースにしているけれど、他人が感じるように自分も感じている、というよりも自分と同じように感じている人と繋がっていくような、自己の感情の増大装置みたいな感じで入り込んでしまいやすいように感じています。

事実よりも信じたいものを優先してしまったり、排除も生まれやすかったりする。気づいたら硬直化して、ひたすらエモに突っ走って現実を失っているようなことも起こりやすいし、そうした繋がりは遠くに石は投げやすいけど、近くの悪には声を出しにくい。

本来SNSはフラットに繋がれる、現実の世界よりある意味繋がりやすいからこそ、その共感の外側への想像力とか、個に立ち帰ることの必要性のようなことをすごく考えます。本来エンパシーする、というのはとても難しいことだから。

__アルバムの最後に収録されている「Spread」は、本作で唯一歌詞が日本語の曲になっていますが、日本語での表現は英語詞と比較して、どのような違いがあると考えていますか。また、歌詞にある「私たちはもう踊らなくていい」という言葉はこの曲の中でどのような意味を持ち、どのような背景で生まれた曲なのでしょうか。

「Spread」はもともと久野遥子さんのNHKテクネの映像作品「Roto Spread」のために作った曲を発展させたものです。映像自体はロトスコープというアニメーションの技法が使われているんですが、この技法自体がよく複雑な動きをキャプチャーするために使われている、という基本から教えていただいたんですね。複雑な動きの例としてよくダンスをアニメーションする際に使われるそうなのですが、この技法自体もっとさまざまな応用や可能性がある、ということと、あらゆる社会や広告の要請に踊らされない、というユーモアを交えてこの言葉を歌っていたんです。

でも、そこで歌った「私たち」という言葉のもどかしさがずっと頭に残っていて。J-POPでよく歌われる「私たち」のような巧妙な一般化の暴力性みたいなものには抗いたいし、ポップスとしての表面の手触りは残したい。歌として仕上げる時にもう一度そこを考えてみました。ロトスコープ自体はその実体をキャプチャーしているのではなくて、動きをキャプチャーしている、というのが面白くて。ずっと自分は生きている不安や寂寞(せきばく)感、ぎりぎりの感じがあって、例えば私のようにMeTooのようなムーブメントに勇気をもらって、社会を変えていく運動だったり連帯だったり、それは必要のために繋がる強固なものだけれど、自分自身この映像のようにしなやかで流動する個であってよくって、それを自ら広げていくような、そういう動きみたいなものも大事にしたいと思ったんです。うまく言葉にできないんですけど。

言語の違いについては、自分にとっては、やはり日本語は一番意味を捉えやすいから曖昧な表現もしやすいということがあります。「私たち」の話でいえば、こう歌ったのは今回が初めてで、実はずっと「僕」と「僕ら」って歌っていたんですけど、日本語だと私が「僕」というだけで、誰も「僕」が私だとは思わない、日本語は人称の幅広さが面白いけど、同時にその役割が固着しやすい、というか社会的役割が強制されちゃうのが辛いな、と思います。

だからそういうもともとの流動性とか隙間みたいなものを、また日本語で歌う時にはもっと自由に横断できるようにしてみたいです。英語は私の拙さもあって、ダイレクトにしか言葉を伝えられないんですけど、このアルバムでは曖昧保険をかけたくなかったし、シンプルな意味だけをもたせたかったので、英語でほとんどの曲を歌いました。

__久野遥子さんによるジャケットのアートワークでは、干された着ぐるみが印象的ですが、アルバムのどのような部分を元に描かれたものなのでしょうか。

このアートワークは、CDやLPを購入していただくとわかるのですが、中面から背面に続いていて、そこで意味が見えてくると思います。干された着ぐるみは、『Butterfly Case』のアートワークでふわふわと浮かんでいた生物を模しています。夢から現実へ、今までのイメージを一新する力強さを湛えたアートワークになって、とっても気に入っています。

__今年6月には新プロジェクト、FEMのデビューシングルがリリースされましたが、CuusheとFEMでそれぞれ表現したいテーマにおける違いはありますか。

FEMは誰かと一緒に作る作品ですが、Cuusheは個人の作品で、自分のために作っています。もちろん聴いてくれた人たちが何か感じるものがあったら嬉しいですけど、なんというか自分にとってCuusheの制作はセラピーだったり逃避だったり、本当に個人的なものですね。

__〈fastcut records〉の公式サイトでは、FEMのデビューシングル「Light」について、「光刺激によって持っているネガティブな記憶がプラスに変容するという記事をモチーフにした」と紹介されていますが、この曲はどのようなことについて表現したものなのか、詳しく教えてください。

光によって記憶の在り方がどうにでも変わる、ということがとても興味深かったんです。昔はこうだった、とかノスタルジーみたいな、過去は振り返るだけでもネガティブな側面があるかもしれませんが、時間の経過とともに視点が変化したり、過去を参照したり、自分の中に培われてきた思考とか意志の連鎖が、時に自分を取り戻すことにつながる。そう思えたので、そのことについて書きました。

__新型コロナウイルスの影響から、自由なライブ活動がなかなか難しい状況が続いていますが、『WAKEN』リリース後の活動予定について教えてください。

『WAKEN』のリミックス集を年明けにリリースする予定で、他にもいくつか友人のミュージシャンの作品に参加します。ライブについては事件のことでまだ怖さもあり、再開については考えられていません。引き続き自分のペースで制作を中心に活動していけたらと思っています。

WAKEN:
1. Hold Half
2. Magic
3. Emergence
4. Not to Blame
5. Nobody
6. Drip
7. Beautiful
8. Spread

Artwork by Yoko Kuno
Design by A+A, Paris

Costume cooperation: Shizuru Takada

インタビュー:春日梨伽, 大嶺舞, 浅井虎太郎, 栗原玲乃(UNCANNY, 青山学院大学総合文化政策学部)
文:春日梨伽(UNCANNY, 青山学院大学総合文化政策学部)
編集:東海林修(UNCANNY)