- ARTIST:
Deerhunter
- TITLE:
- Monomania
- RELEASE DATE:
- 2013/4/24
- LABEL:
- 4AD / Hostess
- FIND IT AT:
- Amazon
- REVIEWSMay/06/2013
【Review】Deerhunter | Monomania
2007年に発表されたPanda Bearの3rdアルバム『Person Pitch』が、後のチルウェイブの呼び水となったことはもはや周知の事実であるようだが、それから6年、チルウェイブももはや過渡期を迎え、より一層の細分化の果てに様々な表現へと花開いたのが現在の状況であると言えよう。ある者はバンドスタイルでの表現へ向かい、ある者はR&Bやヒップホップの色香を纏い、ある者はテクノやダブ・ステップの領域で異種混交を繰り返し、またある者は電子の海にその身を隠し、ハイパーリアルな世界に冷笑を向けながらメタレベルの思考ゲームを戯れ続ける……。いずれの道においても、本格的な細分化へと進んだのはここ2,3年のことだったと思うが、そもそも、その傾向に共にいち早く反応し、シーンにチルウェイブを呼び込む下地を整えたのが、Deerhunterというバンドだったように思われる。
初期の『Turn It Up Faggot』『Cryptograms』では、クラウトロックやポストパンクの影響が色濃いオルタナティブ・ロックを演奏していた彼らが、リバーブの向こうに広がる世界を切り開いたと言えるのが、2007年に発表した『Microcastle』だった。そこでは深いリバーブに包まれた霞みがかった世界の中で響く独自のポップミュージックが展開され、彼らのようなシューゲイザーの影響を独自に展開する新世代の音楽を、ニューゲイザーと人々は呼んだ。しかし、そもそも彼らの音楽的ポテンシャルは、一時代の音楽的タームの中で消化しきれるものではなかったのだ。『Microcastle』以前に発表された、Atlas SoundことBradford Coxのソロによる『Let The Blind Lead Those Who Can See But Cannot Feel』からもチルウェイブの雛形のような世界は垣間見えていたのだが、バンドによる次作の『Halcyon Digest』ではよりその傾向に拍車がかかり、リバーブが繋ぐ音楽的な近親関係を自ら示していたようでもあった。
そうして、前作から約3年振りにリリースされたのが、今作の『Monomania』である。シーンは細分化を極め、音楽的タームは日々粗製乱造される中、彼らが選んだ道は何か。それは、彼らのトレードマークであり、自らをアイデンティファイしていたとも言えるリバーブの封印という選択だった。そして、その代わりに選んだのがブルース、ガレージロック、カントリーといった過去の音楽の亡霊と共に踊ることだったのである。最初に一聴した時は、チルウェイブへの反発とそれに伴う原点回帰的な意識かとも思えた。しかし、最終的にそこから読み取れたのは、現在における「過去」との向き合い方と、それに伴う音楽的ジレンマへの対処という、実に現代的なテーマを表象する本作の姿であった。
確かに冒頭の2曲「Neon Junkyard」「Leather Jacket Ⅱ」では、今までになくブルース色の強い曲調に誰もが意表を突かれることだろう、これが新しいDeerhunterの姿なのか、と。猛獣の叫びともブルースマンの叫びとも聴き取れる雄叫びが象徴しているように、今回のアルバムにはジョン・リー・フッカー、ボ・ディドリーなど、古典的なブルースの影響が滲んでいるというのはバンド自ら明らかにしている通り、「Nocturnal Garage(真夜中のガレージ)」、ロックンロールが今回のテーマだ。直接的な表現、凶暴性とダークな雰囲気は、1stアルバムを彷彿とさせ、一見原点回帰的なもの、過去の功績の否定を感じさせることだろう。
しかし、3曲目の「The Missing」で聴き取れるポップなメロディは、紛れもなくDeerhunter独自のもの。その後の「Pensacola」「Dream Captain」では再びブルースに針が振れ、ブルース進行的な曲展開にスティールギターを使用している様子は、今までのアルバムには無かった光景だが、ポップソングが全体を占める割合は意外と高い。「T.H.M.」は、かねてからBradfordが影響を公言しているStereolabの影すら感じることが出来るし、「Sleepwalking」などは今までの延長線上的な雰囲気すらある。さらに、凶暴性と勢いを重視したようなガレージ色の強い楽曲も、良く聴けばかなり作り込まれた部分を聴き取ることができ、巧妙なスタジオワークの結晶としてこの作品が成立していることは容易に想像できる。そもそも何故、一発録りで制作されなかったのか、さらにアルバム制作のためにBradfordが作曲した楽曲は250曲以上に及ぶというエピソードは、このアルバムが単なる衝動性の発露ではないことを物語っている。
さらに言えば、全体的にレコードの音質を再現したような音像、意図的に挿入されたヒスノイズは、失われた過去への憧憬を感じさせる一方、ノイズへの執拗な意識とその執着心はシューゲイザーの子孫としての延長線上的意識すら感じさせるものがあり、その意識の発露として最たる曲が「Momomania」だろう。これこそDeerhunter流のガレージ・ロックであり、後半の音の粒子が最大風速で吹き荒れる瞬間はシューゲイザーそのものである。BradfordがRolling Stone誌のインタビュー(1)で、前述したような音楽以外にもSteve Reichやミュージック・コンクレートの創始者、Pierre Schaefferの名を挙げているように、西洋音楽の膨大な歴史の集積を実践しているような楽曲でもある。この姿こそが2つ目のテーマである”NEW FORMAT is avant garde(?) but only in context not form (original intent of avant garde (1912-59)”(2)を表しているのかもしれない。
結局のところ、どのような意識の元に制作されていたとしても、今作を単なるロックンロールへの回帰で片付ける訳にはいかないだろう。この作品では巧妙な過去の音楽との距離の取り方、過去の亡霊たちと如何に上手く踊るのか、という点で実に現代ならではのアプローチが垣間見えるのだ。今回もそうであるように、そもそもDeerhunterは『Microcastle』で頭角を現した頃から、カントリー歌手Ricky NelsonやThe Ramones、Stereolabといった過去のアーティストへの愛を事あるごとに語ってきた印象がある。
そして、実際の音楽的アプローチの面でも、過去へのノスタルジックな意識の在り様が常に感じられるものがそこにはあった。そう、現代にあって何故、「過去」が扱われるのか。それは彼らに限った現象ではない。チルウェイブやヴェイパーウェイブといったインターネット時代の寵児たちにとっても、過去との向き合い方は音楽的に重要なテーマのひとつだ。そして、おそらくそれはこういうことではないか。現代におけるインターネットとは、ポストモダン以降の概念とその精神を、実践的な領域で現実以上に体現しているひとつの仮想現実であり、そこにあるのは聖と俗、混沌と秩序、毎秒毎に増加する過去の情報の膨大な蓄積と、未来へ繋がる不定形なフィールドである。そして、生まれたころから常にその仮想現実を含む現実との対応関係の中で育まれた精神にとって、常に問題となるのは「過去」との距離の取り方だ。始めから過去との対応関係の中で、未来へ繋がる音楽的選択肢は限られている。そして、その状況の中で、現在におけるアプローチを考えた時に取られる行動とは何か。そのひとつは、ポストモダン的アイロニーの発露、全てのスタイルを表層的なものとして捉え、その上で戯れるスタンスであろう。おそらく現代においては、ヴェイパーウェイブ的なものがこれに最も該当する。
そして、もうひとつの方法、これこそがDeerhunterのアプローチにも通ずる「サウンドのリサイクル」だ。音楽評論家の原雅明氏によると、90年代後半以降、インターネットの登場による過去の音楽アーカイブへの容易なアクセス、テクノロジーの発達によるDAW・プラグインソフトの普及などによって、ロック/ダンス・ミュージック/ヒップホップ等の分野で音響的視点、つまりメロディやリズムのみに集約されない音のテクスチャーや、前衛/大衆の垣根・時代を飛び越えた繋がりに焦点を当てた「サウンド」への眼差しが表面化してきたという。そして、そこでは音楽は「単体として個別的に孤立的に在るのではなく、多様なパーツの予期せぬ結びつきと幾重もの過去の記憶の組み合わせから立ち現れる」(3)ものとして、新しい世代によって「リサイクル」されるのである。
そして、その視点によってこそ、ネット時代になって加速した「新しさ」、つまり音楽的更新への強迫観念を超克する視点も同時に持ちうることが出来たのだ。それは単なる未来の否定とも違う、全体への貢献とも言うべき循環的な視点である。そして、Deerhunterにおける「サウンド」への眼差しとはすなわち、大衆/前衛の垣根を飛び越えるものとしての「サウンド」への意識である。つまり、今回においては、シューゲイザーの延長線上的な意識としてのノイズのテクスチャーに重きを置いたプロダクションと、ポップス/ロックと実験音楽、大衆と前衛の両方からの視点による作曲が内包していた意識がそれであり、この意識こそが2つ目のテーマである”NEW FORMAT is avant garde(?) but only in context not form (original intent of avant garde (1912-59)”に直結しているであろう。そして、その意味でこそ本作は、単なる未来の否定とも過去への憧憬とも違う、ポストモダンが顕在化した現代ならではの「過去」との距離の取り方、「新しさ」という概念への問題意識の在り様という、現代的な意識を表象しており、ある意味では彼らの音楽的焦点は常にそこに重点が置かれていたのではないかと、改めて考えることも出来るのであった。
註:(1) 『Rolling Stone』”Deerhunter Records New Album in Brooklyn“より
註:(2) <4AD>公式ホームページより
註:(3) 原雅明『音楽から解き放たれるために 21世紀のサウンド・リサイクル』(フィルムアート社、2009) 55頁より
文:宮下瑠
1992年生まれ。UNCANNY編集部員。得意分野は、洋楽・邦楽問わずアンダーグラウンドから最新インディーズまで。青山学院大学総合文化政策学部在籍。