ARTIST:

Oneohtrix Point Never

TITLE:
Age Of
RELEASE DATE:
2018/5/25
LABEL:
Warp / Beat Records
FIND IT AT:
Amazon, Apple Music, Spotify
REVIEWSMay/28/2018

[Review]Oneohtrix Point Never | Age Of

 メディアアーティスト/研究者として知られる落合陽一は、自著において、現代で起こっているテクノロジーのパラダイム・シフトを科学の「再魔術化」−あらゆる現象を科学的・定量的な解釈で「理解できる」とした近代から、科学的・定量的な解釈が常人にはほぼほぼ理解不能な形で先鋭化された状態−と解釈し、そんな現代を「魔法の世紀」と表現している。テクノロジーという見えない巨人は、人間が一生かかっても解釈しきれない莫大な情報を「ビッグデータ」としていともたやすく扱い、何千回、何万回にも及ぶ情報のインプットと学習の反復をハイスピードで実行してしまう。それらを手懐け、人類の向かうべき方角へと手綱を握り直すのは、人生単位であらゆる専門的な分野を研究し、道無き道を進んできた専門家や科学者たちである(「魔法の世紀」に準えていうならば、彼らこそが「現代の魔法使い」である)。彼らが切り拓いた、人類単位の知性を懸けた技術力の帰結としての現代は、圧倒的多数を誇る一般大衆からは事象から結果へとスマートに結ばれた放物線に見え、それこそ「魔法」と一切の差が無いのである。

 あらゆる事象に「魔法」が仕掛けられていく現代では、あたかも自分が欲しかったものを先回りして提示しているかのようなショッピングサイトや、出先や職場からも個人の膨大なデータにアクセスできるクラウドストレージ、店舗の客回転率を高めるために設定された席配置が当然のように登場する。全世界のメーカーから先進的で革新的なガジェットが次々と登場し、テクニカルライターやジャーナリスト、そして多数の個人がYouTubeやブログ、SNSにそれらを手に取り賞賛、あるいは批判する記事や動画を配信する。しかし、その活動すら企業にとっては「広報活動」の一環となり、我々のほとんどの消費行動は彼らを対象にした「労働」に切り替わってしまう。我々が生きる上でほぼ触れないことがないであろう「魔法」の裏には、我々の消費−もはや消費労働とも言うべき行動−や意識の結果を集積し、高度に体系化された技術が潜んでいる。

 我々は消費をし、動き続ける限り、世の中の推進を手伝う存在として「労働」を余儀無くされる。信じようとも信じまいとも、電線や光ファイバーに格納された神は文字通り細部に宿り、我々の生活を見守っている。人間賛歌とは、そのまま労働賛歌と言い換えることができると言っても不思議ではない。

 『Age Of』のアートワークにある、希望と好奇心に満ちた女性たちと、その前に光を湛えて開かれたMacbook Proのイラストは、現代芸術家Jim Shawによる『The Great Whatsit(偉大なる例のもの)』という作品である。現代人はノートブックの光に導かれ、テクノロジーの果てに輝かしい未来を見つめる−この作品から伺える、技術に対するある種の能天気さは、コンピュータ黎明期の広告デザインを彷彿とさせ、そのタッチからは、ポップアート的レトロさも感じさせる。この作品が表現するのは、ある種の警鐘というよりも、テクノロジー社会の相対化とも観ることができ、どれだけテクノロジーが進化しようとも、消費者と商品(あるいは技術)との関わりは変容することがない、ということが受け取れる。かつてOPNは『Replica』という作品で、80年代のCM・ポップス文化の残滓を拾い集め、ヴェイパーウェイヴ的な思想と音像を手がかりにそれらを成型させた。『The Great Whatsit』の見据える世界と共鳴した『Age Of』は、ANOHNIやJames Blake、Prurient等といったアーティストをアルバム制作に招き(OPNがゲストアーティストと共にアルバムを制作するのは初めてのことだという)、現代の魔法の相対化に挑戦したように思える。

 『Age Of』を発表する直前に告知されたOPNの単独ライブ公演「Myriad」では、「人工知能が夢想する人類の4つの時代」をテーマとして掲げ、言葉が何がしかの意味すら持たない時代(「ECCO」)、会話をし、仕事をして地球から収穫を得る時代(「HARVEST」)、人類が仕事以上の収穫を得ることで肥大していく時代(「EXCESS」)、そして肥大しすぎて動けなくなる時代(「BONDAGE」)を永遠に循環する存在として人間を定義する。あくまでも「超絶知能」をもった人工知能からの目線の話ではあるが、今我々を取り巻く過剰で「肥大的」な社会、そして「ポスト・トゥルース」とも評されるあらゆる発言、探求すら無意味に感じられてしまう「虚無的」な状態を鑑みても、考えうるヴィジョンとしてさほど間違ってはいないように感じられる。

 アルバムのイントロにして表題曲「Age Of」は、「Myriad」のトレーラー映像にも使用された楽曲で、荘厳なバロック調サウンドの裏に伺える電子音楽的な狂気が特徴的で、そのOPN的な壮大さには安堵すら感じられる。2曲目「Babylon」はOPN直々のボーカル曲だが、アルバム全編を通じて声が畸形的に変調されきっていた『Garden Of Delete』とは打って変わって、ここでは軽めにAuto-Tune処理がなされるのみに留まっている。それでも、楽曲全体の音像自体は素直ではなく、イージーリスニング的な空気感の中にふと叩き込まれるノイズのバランス感覚はOPNならではのものである。しかしOPNの今までの作品と比較しても、よりメロディアスというか、メロディやハーモニーに対して何かしらシリアスなものが見受けられるが、メロディ/アンサンブル自体を主体においた『R Plus Seven』とは異なり、ここでは全体を構成する一部としてメロディの構築が達成させられているように感じられる。

 物哀しいギターフレーズの機械的な反復から幕を開ける「The Station」から、心を揺さぶるようなメインリフが現われたかと思えば、楽曲自体が徐々に分解されてかき消えていくような印象を受ける「Toys 2」、そして表題曲を除いては唯一の先行配信楽曲となった「Black Snow」の流れは、今作の中で特に印象に残る展開である。全体の中でも特に陰鬱で奇怪な音像を持つ「Black Snow」が、アルバムの流れの中だと比較的ポップに感じられるのは不思議である。たしかに注意深く聞いてみれば、「Black Snow」にはそれ自身をポップたらしめるような展開があるようで、比較的聴きやすいのかもしれない。そう捉え直すと、この楽曲の気怠さは、インディーロックが発展した形の音像のように響き始める。

 アルバムの後半からは、よりいびつで不穏な空気が徐々にまとわりつきだす。ANOHNIとPrurientがボーカルを務めた2分ほどの楽曲「Same」は、このアルバムの中で特に破壊的なイメージを持つ楽曲で、暴力的に歪められたボーカル処理もここでは存分に味わうことができる。そして『Age Of』はそれ以降、徐々に音像が狭まり、ジャズ的でフリーキーなセッションを経て、急激に終局へと向かう。

 前作『Garden Of Delete』や『R Plus Seven』と比較しても、『Age Of』の音像と世界観は多義的で、しかしその豊潤さ故に、ますます取っ付きやすさを増している。その直接的な理由としては、恐らく前述の通りゲストアーティストの導入がある。そして、その前提にあるのは、映画『Good Time』等へのサウンドトラック提供等の仕事を通じた、OPN自身の外部性への開眼だと感じている。『Garden Of Delete』制作時のインタビューの際に、OPNは「ほかの人のために音楽を作るなんてやったことがない」と発言した。しかし、映画のサウンドトラックを作るには、音響と映像の主従関係を見据えた「社会的」な目線が最も必要とされる。加えて、監督の持つイメージや役者の演じた心情、観客の期待を総合した上で、尚且つ「自分がこれを組み立てることになった理由」について思いを馳せる必要がある、というより、考えるかどうかは自由なのだが、OPNがそれを無視できるほど器用な人間だとは思えない。そして、結果としてOPNはそれをやり遂げ、代償として客観的な自己認知を得るに至った。そこでようやく、「Myriad」で掲げた「4つの時代」のアイデア、そして『Age Of』に繋がる。

 同じインタビューで、彼は「ポップミュージックは、音楽だけでなく、社会のことを教えてくれる」と言った。そういった意味で、今作においてOPNはポップ・ミュージックを作ろうとしている。しかも、『Garden Of Delete』の表現する自閉的な「グロテスク・ポップ」ではなく、より抽象的で、高次的なものだ。「Black Snow」は、その陰鬱で内省的なイメージの中で、「行く前からドアは開いている(Door’s gotta open before you go)」と歌う。そのドアは、いつかの時代は厳格な宗教が、または車工場が開けていたものであり、今は偉大なるテクノロジーがその部屋の執事を担っている。

 「Myriad」の循環的時代の発想が面白いのは、その循環を超絶知能という「高次の存在からの眼差し」から意識することで、消費と労働が重なるような「循環的行動」そのものを内包していることである。循環的な思想を客観的に語るこのイメージは、ポップ・ミュージックの在り方を解体して、高次的に組み立てあげるOPNの手法とも共鳴し、まさに「メタ・ポップ・ミュージック」と言っても過言ではない。そしてこの文章も、消費労働として「肥大的時代」に収斂されていくことは上記に書いたとおりである。

レビュー/文・和田瑞生


1992年生まれ。UNCANNY編集部。ネットレーベル中心のカルチャーの中で育ち、自身でも楽曲制作/DJ活動を行なっている。青山学院大学総合文化政策学部卒業。