- INTERVIEWSNovember/29/2016
[Interview]yahyel – “FLESH AND BLOOD”(Part.2)
(Part.1からのつづき)
__今までの活動として、国内ではMETAFIVEのオープニングアクトや「FUJI ROCK FESTIVAL‘16」への出演、また国外ではRough Tradeでのインストアライブや欧州ツアーを行ったりと国内外問わず積極的に活動なさっていますが、その中でマーケティング的に意識していることはありますか?
篠田:それこそ結成の当初から、現行のインディR&B風潮を意識しようっていうのはありました。
__それは現行の音楽シーンで流行っているからですか?
篠田:流行っているからっていうのとはまた違うんですよ。そもそも好きだったっていうのと、自分たちの手元にあるスキルみたいなものとかなり適合的だったというか。重なったんですよね。今でもオンタイムのものは意識しています。アートって表現したいものを表現すれば良いわけではなくて、やっぱり現行にある潮流に合わせながら過去の文脈を昇華して、新しいものを付け加えないといけないと思うので。そうじゃないと古典芸能の保存とかと一緒になっちゃうと思うので。
池貝:逆に今、それが流行っているからくらいに思われたのであれば失敗だと思ってる。
__私個人としては、日本のポップスにあるようなテンプレートを感じなかったという意味で、枠に捕らわれていないというか、日本っぽくはないなと感じました。あとは、不必要なものを除いた曲調と電子音で一見冷たく見えて、声や歌詞に人肌の暖かさを感じるような音楽だなと思いました。
楽曲は基本的に電子楽器で作られていると思うのですが、ドラムだけ生楽器を入れたのは何故ですか?
篠田:生ドラムはライブだけでトラックは全部打ち込みです。
__そうなんですね。ライブだけ生ドラムを加えたのは何故ですか?
篠田:ライブはライブなりの表現をしたいっていうのがあって。パソコンで全部流すのも勿論可能なんですけど、やっぱりそれはライブじゃないというか。ただ、ライブ過ぎても意味がなくて、それは僕らが表現したいことから離れてしまうので、身体性とある種打ち込みの間みたいなことをライブでは上手く表現したいなっていうことを考えていて。
ドラマーの大井はクリックをずっと聴いて叩いていて、シンセサイザーも同期で流しているものもあればちゃんと生で弾いているものもあって。サンプリングに関してもそうなんですけど。完全に機械過ぎでもないし、人間でもないものがyahyelのライブだと僕らは定義していて。それで生ドラムを入れたっていうのはあります。
杉本:音源聴いてもらえたら分かると思うんですけど、ビートもグリッド上に乗っ取ってキックやスネアが綺麗に配置されているわけじゃなくて、ヒットポイントをわざと少し揺らすというか、0コンマ何ミリくらい若干ずらしてヒューマナイズした音を出しているんです。そういうのをいざライブで表現するってなったらただ音を流すよりは人が叩いた方が面白いかなっていうのがありました。
篠田:だから多分楽曲を聴いてライブでの演奏と聴き比べるとビートのアレンジが違ったりして面白いかとは思います。
池貝:1年間やってきて気づいたことなんですが、生々しい部分と、無機質で荒涼とした雰囲気の対比が僕らの色というか。ライブっていう1発限りの表現の中でその両方を入れるっていう形が良かったんだよね。
__歌詞に関しても、音と比べると大分生々しいというか人間じみているように感じました。それも人間らしさと無機質さの対比を表現しているんですか?
池貝:そこの対比っていうのはさっきも言ったように今までやってきた中での結果ではあるんですけど、そこは僕の人間性というか。僕は別に格好付けるでもなく正直に言いたいことを言っていて。唯一意識しているとしたら正直であることなんですよね。
さっきのディストピアの話にも繋がってくると思うんですけど、起きてることをちゃんとそのまま描写するというか。こう思っていて、こういうことが起きて、こういう人達が居て、こういう雰囲気があってっていうことをちゃんと描写するっていうところを意識しているので。それを生々しさと言われるのはなんか、どうなんだろう。どう感じれば良いのか分からないんだよね。すごく有り難いことだと思いますし、でもそれがもう皮肉なのかもね。それを生々しいと思うこと自体が。
篠田:今って生々しいこと言えないからね。相対的に見てそれが生々しく見えるのかもね。
池貝:でもなんかそういう、エグいことを言いたいと思ってやっているので。有り難いことではありますけど。
杉本:生々しいって言われるっていうのは成功でしょ。
1994年生まれ。UNCANNY編集部員。青山学院大学総合文化政策学部在籍、音楽藝術研究部に所属。