ARTIST:

tofubeats

TITLE:
STAKEHOLDER
RELEASE DATE:
2015/4/1
LABEL:
Warner Music Japan
FIND IT AT:
Amazon,
REVIEWSApril/02/2015

[Review]tofubeats | STAKEHOLDER

 tofubeatsのニューシングル「STAKEHOLDER」のビデオが公開された。「Don’t Stop The Music」「ディスコの神様」に続く、メジャーデビューから数えて3枚目となる今作は、前述の2枚に比して「攻めた」内容だ。

 憂いを帯びたセブンスコードがSkream”Under The City Lights”風のコーラスで鳴らされるイントロから、細やかなビートが#fofofadi~Bubblegum Bass以降のマナーに沿って、砕けたiPhoneの液晶のように散らばりキラめくタッチは有線放送ではなくDJユース。また、明確にAメロ・Bメロ・サビというポップスの構造を持っていた前作に対して、1回だけ挟まれるアーメンブレイク以外は「君と利害関係したい/何をしてもSTAKEHOLDER」というフレーズがリフレインされるのみ。

 ただこの「サビ(に当たる部分)しかない」という構造はむしろお茶の間向き、というかTVスポット向きかも知れない。部分と全体が等価となるフラクタルはテクノの基本構造だが、tofubeats自らアップしたInstagramで告知された宣伝動画を見てもわかる通り、例えVineで6秒で切り取られても今作は金太郎飴的に強度を失わない。あるいはカラオケの待機映像のあのスポット。「DAMチャンネルをご覧の皆様こんにちわ~!トーフビーツです~!」という映像を我々はまだ観ていない。

 WikipediaによればSTAKEHOLDERとは日本語で利害関係者を意味し、「企業・行政・NPO等の利害と行動に直接・間接的な利害関係を有する者を指」し、「具体的には、消費者(顧客)、従業員、株主、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関など」とある。もともと経済学を専攻していたtofubeats(という情報、僕は彼の盟友である『関西ソーカル』主宰の神野龍一氏から教えてもらったのだが)らしいセンス、とだけこの項では触れるに留まる。僕は文学科なので。

 君と利害関係したい。もちろん単純には好きな女性へのアプローチであり、愛の告白である。そこにわざわざ硬直した経済用語を持ち出してしまわざるを得ない融通の利かなさ、不誠実さ、自分が不誠実であるということを自覚しようとする誠実さ、のような構図が見え隠れする。

 ちなみに僕は本作をK-POPだと思って聴いている。音像とビデオの質感だとか、最初にYouTubeで視聴した際に、自動再生で本作の次に再生されたのが同じくワーナー所属の韓国人男性グループCNBLUE(シンブルー)のメンバーのソロ作品だった、というのもあるが、何よりも「きみと りーがーいーかん け したー(い)」という角張った譜割りが、AFTERSCHOOLやAOAなどに代表される「日本語に訳されて歌われるK-POP」の独特な言語感覚と韻の踏み方を思い起こさせた、というのが最大の理由だ。ちなみに「日本語訳のK–POPの独特な言語感覚と韻」をパラレルに日本語ロックに置換したのが相対性理論だと思っている。

 咳をしてもひとり。何をしても利害関係者。僕は文学科なので村上春樹を引用する。

“僕も金を払っては女と性交しない(略)しかしこれは信念の問題ではなく、いわば趣味の問題である。(略)我々は多かれ少なかれみんな金を払って女を買っているのだ。(略)つまり我々の存在あるいは実在はさまざまな種類の側面をかきあつめて成立しているのではなく、あくまで分離不可能な総体なのだ、という見方である。つまり我々が働いて収入を得たり、好きな本を読んだり、選挙の投票をしたり、ナイターを見に行ったり、女と寝たりするそれぞれの作業は一つ一つが独立して機能しているわけではなく、結局は同じひとつのものが違った名称で呼ばれているにすぎないということなのである。だから性生活の経済的側面が経済生活の性的側面であったり、というのも十分にあり得るのだ。(略)我々は実にいろんなものを日常的に買ったり売ったり交換したりしているために、最後には何を買ったのかさっぱりわからなくなってしまったということが多々あるからである”(1)

 飲料メーカーRed Bullの主宰する音楽教育機関Red Bull Music Academy、もといその国内版であるRBMA JAPANの動向は、今やコアな音楽ファンならば誰もがチェックしているだろう。国内外、ジャンルを問わない大物ミュージシャンのレクチャー企画(D’angelo、Tom Tom Club、灰野敬二、細野晴臣……ちなみに筆者は4月下旬に京都で開催される菊地成孔のレクチャーに参加予定)や、クラブ、ライブスペースを使っての教育成果の”実演”である数々のライブ企画ではメジャー&アンダーグラウンドを問わない若手の起用と、その人選と企画力は大胆かつヒップ。tofubeatsも昨年末、RBMA JAPANの東京で行われるイベントに出演、RBMAの先進性を称賛しつつも「音楽をやるドメスティックな機関ができてないことが飲み物で儲かった外資の大企業だとできるということ」に「なんかツラくなるみたいな」ジレンマを感じることをTwitterにて吐露していた。音楽を演奏することとクラブでドリンクを買うことも単に総体の一部なのか。現在公開されている、村上春樹の質問サイトに「筒井康隆は読みますか」という質問はあっても「ピケティ読みましたか」という質問は(2015年3月27日現在)ない。

 PVを見てみよう。tofubeatsがモデルの女性(宮本夏美さん。という女性の方だそうです)にひたすら暴力を振るわれる様子がハイレゾに描かれる。直接的には、ビール瓶を脳天に振り下ろされる、メガネごとビンタする、コピー機に顔を押し付けられる、など。さらに、それらのシーンと交差して、モデル女性が豆腐をハイヒールで踏みつけたり、パスタの束を割ったり、パソコン~スマートフォンをバットやハンマーで破壊する映像が重なる。二人はかつて恋人同士だったかのように思わせる演出(破壊されるスマートフォンに二人が笑顔で写っている自撮りが表示される)もあるが、最終的にはすべてtofubeatsの妄想だったかのように、彼が一人ニヤニヤしている様子で〆られる。

 tofubeatsはマゾなのか。実際にどうかは全く知る由はないが(若干はイエス。に見える。個人的に)、男性は誰しも「ダメな自分を全肯定してくれる夢のような可愛い女の子」を一度は夢見、その幻想が多かれ少なかれ破綻した時、何らかのカタチで妥協してそれなりのラブ・アフェアーを謳歌するか、あるいは全くその逆で「少なくとも、自分に対して女の子がひどいことをしてくることだけはリアルに感じられる」という状態にある種の男性は行き着く。

 これはポップスについての文章なので自分語りさせて貰うが、僕自身は未だに女性に対する劣等感や過剰な幻想が強く、それはナードな青春を過ごしたことが原因なのだが、「自分を全肯定してくれる女の子」と「自分にひどいことをしてくる女の子」のイメージは年々解消されるどころか強くなっていく。これについてはここでは詳しく記さない。続きは現実で。掟ポルシェは「アイドルおたくは早漏か遅漏しかいない」と言っているが、これは示唆的だ。小西康陽は遅漏か。tofubeatsは早漏か。ボリス・ヴィアンは「可愛い女の子との恋愛と気の利いたダンスミュージック、それ以外のことなどどうでもよい」と言った。ちなみに僕が最初に聴いたときの空耳は「君とリーガルに関係したい/何をしても素敵、ほら」だ。

1)村上春樹『雨やどり』(1983)、『回転木馬のデッド・ヒート』(講談社、1985)収録

文:小鉄
1990年生まれ。四国・香川県在住。ニューウェイヴバンド『ピクニック・ディスコ』、ライター(関西ソーカル、ex.Hi-Hi-Whoopee他)、イベント『サン瀬ッ戸』など。瀬戸内海より愛をこめて。
https://twitter.com/y0kotetsu
https://picnicdisco.bandcamp.com/