ARTIST:

BLUE HAWAII

TITLE:
Untogether
RELEASE DATE:
2013/2/27
LABEL:
PLANCHA
FIND IT AT:
Amazon
REVIEWSApril/03/2013

【Review】BLUE HAWAII | Untogether

 「愛は続かない」ものという逆説としての『Love Remains』をリリースしたポスト・チルウェイヴ/ウィッチハウスの雄、How To Dress Wellしかり、「純潔の指輪」という名前を掲げながら、実際はClams CasinoやSoulja Boyをフェイバリットに挙げ、下世話なヒップホップ/R&Bの影響も濃厚なトラックに、処女性を強調した女性ボーカルを載せる皮肉たっぷりなPurity Ringしかり、最近のインディ界隈では「愛」そのものにシニカルな態度を向ける若いアーティストの存在も珍しくない。いや、そもそも社会の「底」が抜けて、雇用も家族的紐帯すらも流動的にならざるを得なくなったこの世界においては、人間関係も流動的にならざるを得ず、データベース的な代替可能性に自覚的で「愛」に対してシニカルな態度も、単なる個人的信条の問題ではなく、少なくとも若い世代の感覚ではサバイブするための処世術のひとつである、と言ってもあながち嘘ではないだろう。

 そして、その感覚は音楽においても反映されている。「動物化するポストモダン」とまでは言わなくとも、生まれた時からインターネットと共に成長してきたベッドルーム・ポップ世代のアーティストたちにとっては、データベース消費的な音楽制作の仕方が皮膚感覚として沁み込んでいる。そして、それ故に「愛」への態度同様、音楽に対しても彼らはシニカルな態度を取らざるを得ない、例えそれが無意識的な選択だとしてもだ。そのどちらにも共通する心理は「唯一性」への猜疑心である。

 その感覚はBLUE HAWAIIという名で活動する若い男女2人が作り上げた、この『Untogether』という名のアルバムにおいても、至る所から垣間見ることが出来る。それはその音楽性しかり、男女がお互いを抱き締めあっているアルバム・ジャケットにも関わらず『Untogether』というタイトルであることしかり、どこを見ても何となく醒めた視線として表出している。シニカルで厭世的な態度は時に人をイラつかせ、只の現実逃避だとして非難されるだろう。しかし、そんなことは彼らも分かっているだろうし、では、それでも何故、音楽を作るのか。そう、論理的にはその唯一性が保証できなくても、人は人と繋がらざるを得ないし、彼らは音楽を作らざるを得ないのだ。そして、それ故に逆説的にも彼らの音楽は切実な響きを獲得することが出来たのであり、物憂げで醒めた空気感の中でしか生きられない人間にとっては、彼らの音楽こそが最良のものになり得るのだ。

 彼らの音楽はポスト・チルウェイブ/ポスト・ダブステップ~ドリーミー・ポップの集大成としてかなり秀逸だ。女性ボーカルのRaphaelle Standell-Prestonと、トラックメイカーのAlex Cowanによって作られたBLUE HAWAIIの音楽、それはおそらく緻密な研究と試行錯誤の上に作り出されたものであるに違いない。1stアルバムの『Blooming Summer』では、Twin Sisterばりのキッチュなチルウェイブ感を演出し、その文脈で捉えられていた彼らも、今作ではぐっとプロダクションを洗練化し、ポスト・チルウェイブのみならず、ポスト・ダブステップ〜ドリーミー・ポップまでをも見据えたサウンドを展開しているのだ。

 1曲だけで考えたとしても、彼らの音楽には実に様々な要素が取り入れられている。例えば、静かな始まりを告げる冒頭曲の「Follow」を取り上げてみよう。最初にそこにあるのは静寂だ。そこにRaphaelleのいくつもの短くチョップされた声が虚空に響き、後を追いかけるように加工された子供のような声が聞こえてくる。そして、多重コーラスが重なり、声の長さが長くなっていくにしたがって、反響するエコーも徐々に長さを増し、その深みを増していく。まるで海底の深みへと潜っていくにつれ景色が変わり、深海魚が放つ光すら見えてくるように、そこで徐々にビートの輪郭が露わになってくる。音の間合いを意識した硬質な感触を伴ったビート、遅延化されたBPMは、Burial以降のポスト・ダブステップを踏まえたものであり、冒頭で聞こえたチョップされた声の重なり方も、James Blakeなどを持ち出さなくとも実にポスト・ダブステップ的である。子供の声を多用するポスト・チルウェイブ系アーティストとしては、Balam Acabの名が挙げられ、深海の中の暗闇を彷彿とさせるアルバム全体を覆う物憂げな雰囲気、背後でスクリュー処理された低い声が時折蠢くゴシックな感覚は、ウィッチハウスを意識しているとも言える。

 他にも「Try To Be」では、最近の音楽だけに関わらず、アコースティック・ギターのアルペジオを取り入れたフリー・フォーク的な雰囲気も楽曲に取り込まれており、クラシカルな曲調と雰囲気はドリーミー・ポップ系のアクト、Julia Holterなどを彷彿とさせる。Raphaelleの深みと透明感を併せ持った声も、性質的にはJulia Holterに最も近いと言えるだろう。女性ボーカル×多重コーラスというスタイルもまたしかりだ(この界隈では真新しいものでもないが)。そして、彼女の声は実に繊細でありながら、様々な表現力と魅力を秘めており、曲が後半に進むにつれてフェミニンな一面を覗かせる部分も見えてくる。インディ・R&B的な「Daisy」で聴かせる、少女と大人の境界線上の危うさを秘めた雰囲気は、<Arbutus>ではレーベルメイトでもあるGrimesを彷彿とさせる感じすらある。

 そして、Raphaelleだけでなく、Alexが作るバックトラックもMount Kimbieにも通じる多彩さで、彼女を上手く引き立てている。例えば、「In Two」~「In TwoⅡ」に繋がる2部構成の部分では、ポスト・ダブステップ的なビートから4つ打ちのビートへと切れ目なく移行するようになっており、それぞれ異なる角度からボーカルの魅力を引き出そうとするかのような意図が感じられる。さらに言えば、Aphex Twinの『Selected Ambient Works,Vol.2』の夢想的な要素を現代風に解釈したような彼のトラックは、幽玄的な響きを持ったボーカルの声と非常に上手くマッチしており、良い相乗効果をもたらしている。結果的に見れば、BLUE HAWAIIによるデータベース消費的な視点での音楽制作は、かなりの精度の完成度をもたらしている。しかし、今まで見てきたような点を総括すると、そのあまりにも周到なプロダクションからは、最初から唯一性を志向出来ず、相対的な位置関係の中でしか自己の位置を規定せざるを得ない音楽的態度までもが、ありありと感じられてしまうのだ。

 さらに、『Untogether』における「愛」の在り方も、彼らの音楽を解き明かすために考えるべき要素だ。このアルバムを象徴すると同時に、2人の関係性ひいてはBLUE HAWAIIというデュオ自体を示唆しているような1曲がある。それが「Sierra Lift」だ。アルバム中でも最もBPMが早いアップテンポなビートに載せて、Raphaelleのチョップ&スクリューされた声が絶え間なく空間を行きかい、彼女のフェミニンなボーカルが珍しく勢いのあるトラックである。彼女のボーカルは常に中心に配置され、終始輝きを放ち続けているのだが、この曲で聞こえてくるのは彼女の声だけではない。実はその背後で時折、スクリュー処理によって低いピッチに加工された男性のような声が、バックトラックに混ざって亡霊のように聞こえてくる部分がある。正にRaphaelleが陽だとすれば、この男は陰だ。そして、この男こそが正にAlexを象徴している。

 実は、彼らはBLUE HAWAIIのメンバーであると同時にカップルでもある訳なのだが、決して交わらない陰と陽という関係性、カップルでありながらも分裂した「愛」の在り方が『Untogether』に込められた真意であり、そして彼らの皮膚感覚なのではないだろうか。彼らはインタビューで自分たちを指してこう語っている、「it’s like a “love project”」だと(1)。同じ場所でお互いに存在していようとも、どこかで醒めた視線も持ち合わせ、”Un” togetherな形でしかTogetherを表明できない心理、どこまで行っても自己の代替可能性に自覚的で、その唯一性を証明できず、またそれ故に求めてしまう「愛」の形が、彼らの音楽性の鏡像でもあり、終始物憂げで内向的なトーンに秘められた切実な響きの正体でもあったのである。

(1) 『lookout』”INTERVIEW: Q&A WITH MONTREAL’S BLUE HAWAII“より

文:宮下瑠
1992年生まれ。UNCANNY編集部員。得意分野は、洋楽・邦楽問わずアンダーグラウンドから最新インディーズまで。青山学院大学総合文化政策学部在籍。