ARTICLESOctober/14/2017

[Interview]“ツァイトガイストを探して” Hachi[BALMUNG]× Junya Suzuki[chloma]× LLLL(Part.2)

Part.1からのつづき

LLLL:フォーエル……東京を拠点とするプロデューサー/音楽家 https://soundcloud.com/lllltokyo
Hachi[BALMUNG]……BALMUNGのファッションデザイナー http://www.balmung.jp
Junya Suzuki[chloma]……chlomaのファッションデザイナー http://www.chloma.com

カワイイカルチャーの再考

LLLL: 多様性という観点から、お二方とすごく関係があると思うんですけど、2017年の日本で今世界から注目されているのが圧倒的にカワイイ文化だと思うんですよ。いきなり話題が変わってしまうかもしれないんですけど。お二方と一緒に仕事をさせてもらって、僕が思うカワイイというものと100%一致してはいないかもしれませんけど、何らかの要素としてカワイイ的なものを汲み取っているのかなという感じがあります。今特に西洋の人たちが日本を思うときにこれってやっぱり切り離せなくて。ロンドンの〈PC Music〉とかも明らかに日本のカワイイ文化のフィードバックなんですよね。日本のカワイイ文化をどう感じるのかということと、それが世界に勢いよく広がっていることについてどう思いますか。

Hachi: 単純に西洋ということからするとコントラストが立つから、ずっとそういう役割で来ているのかなとは思います。アメリカとヨーロッパと、3番目として日本。最近は中国とかもだんだん入ってきて極東系の味付けのワンジャンルぐらいの、大雑把にいくとそんな感じかな、と。アメリカが肉料理だとしたら日本とかはケーキといった感じなんじゃないかな。

Junya: 音楽の話からいうと、まず日本のアイドルとアメリカのアイドルを見た時に、つい最近「アメリカのアイドル強そうすぎ」みたいな記事があって、見てみたらやっぱりとてもパワフルなんですよ。それで、同じアイドルでもここまで違うんだと思いました。僕自身アイドルはそんなに好きではないんだけど、やっぱりカワイイという概念は日本人としてファッションをする上で避けたら嘘だなと思っていて、そこに何かしらのアンサーはしなくちゃいけないなとは思っています。

まず日本人っていわゆる洋服、西洋の服からすると最適ではない身体をしているわけです。世界的に美しいとされるもの、流行の一番最初が発信されるところというのは西洋の美意識に則ったモデルがいて、日本のブランドも日本人向けだとしても外国人をモデルにするというのが根っこにこびりついている状態があって、日本人らしい体型というのは、特に身長は高くないわけですけど、そういったものの価値をいわゆるファッションとかモードのジャンルではまだあまり価値を与えられていない。

COMME des GARCONSとかは昔そのチャレンジをしていたとは思うのだけど。うちとかBALMUNGとかがやっているのはその日本人だからこその、例えば背が低いことを武器にできるような何かを僕は何かしらやらなければいけないなと思っているし、BALMUNGもきっとそういう感覚あるんだなと思うのだけど。どうですか?

Hachi: それは間違いなく。例えばSHIBUYA109みたいなファッションって最近カワイイ路線も結構混ざってはきましたけど、元々の最初の頃の109の感じってアメリカ的な物を無理やり日本人の体型にフィットさせる方向性のそういう補正が入った服とか着こなしだったのですが、そこに原宿の『FRUiT』みたいな感じの背が低い人の方がむしろ似合うようなスタイルが生まれて。今はどっちも混ざっているような感じはあると思うのですが。

Junya: BALMUNGの服ってかたち的にはかなり和服的だもんね。

Hachi: そうなのかなあ。

Junya: 日本の和服は点で着る服って言われていて。洋服は肩の線にしっかり乗るように作って、和服は肩もポイントで支える。BALMUNGは結構首まわりが抜けているからそういうスタイルで日本らしいアプローチなのかなと。僕はBALMUNGをそう見ているんですよね。

LLLL: さっき、Junyaさんが言ってた身長のことに関して言えば、黄金比ってあるじゃないですか。パルテノン神殿などに使われている、φ(ファイ)って言われるやつです。結局外国人の理想的な美しさって顔だったり体だったり、ありとあらゆるところに黄金比があれば美しいとされている。それに対してシルバーレイシオっていうのがあって。例えば、いわゆるドラえもんだとか、日本の浮世絵だとか。白銀比っていうんですね。黄金比と比べて、アジアではるかに多く見られるって言われているんですよね。例えば、その白銀比が使われているのが法隆寺とか。

Junya: 確かに黄金比の図より可愛らしさがありますね。たぶん僕こっちの方がタイプですね。

Hachi: なるほど……。

LLLL: 本当に単純に身長とかってめちゃくちゃ関係しているのかなって思ってるんですよね。例えば西洋の人は、日本人の大人の美意識をKawaiiや幼いって解釈することも多い。でも当然僕らから見れば成人の身長じゃないですか。でも西洋からするともう少し幼児的に見えてしまっているのかなっていう。

Junya: さっきの多様性の話に戻るんだけど、例えばその背が低いっていうことを劣っているものだとするんだったら、じゃあそれが劣っているっていう解釈じゃなくって、その異なっていることをむしろ楽しめるようにするパワーがファッションにはあるんじゃないかなって思っていて。だからその、国際的に言われている多様性と日本国内で言われている多様性って違うと思うけど、カワイイ(可愛い)って本来多様性を受け入れられる言葉だと思うんですよね。文脈無効化の効果もあるし。

例えば何か欠点があるとしたら、それが萌えたりするわけじゃないですか。本来優れていない部分から豊かな感情を読み取って愛することができるっていうパワーが、まあ“萌え”って言った方がわかりやすいかもしれないですけど。だから日本は世界的に見ればマイナスって思えるものをプラスのものに変換する考えが発達しているような気がするんですよね。例えば、どの国にもか弱い女性とかを愛する文化とかっていうのはあるのかもしれないけど、日本は特にそれが顕著で、メンヘラな子が好きだったりしちゃうし、何か足りていない存在に対して、何かしてあげたいって思う気持ちだとかが結構萌え文化とかにあるんじゃないかって思うんですよね。

アメリカのアイドルみたいに満たされている存在に対する愛じゃなくって、満たされていない存在に対する愛というか。傷を負った存在をどう愛すかだし、僕は、日本は傷を負った国だと思うし、原爆のことも忘れちゃいけないって思うし。そこから、どう豊かなものをやっていくんだっていう時に、マイナスとされているものをどうプラスにするか。

LLLL: かわいいの定義に関して、「不完全な美」っていう話を聞いたことがあったんですけど、それが腑に落ちた時があって。やっぱりすごくシンクロするところがあると思うんですけど、西洋だとさっきの黄金比と同じで強ければいいっていう。でも日本ってそうじゃないじゃないですか。例えば身長が極端に低かったりだとか、ドジだったりだとか。多様性に対する愛だとか。

すごく面白いなって思うのは、語弊を恐れずに言えるなら、アメリカで日本の萌え文化がウケているところって、いわゆるスクールカーストの底辺にいる人たちが結構日本の萌え文化を好きだったりするわけですよ。この前LAのアニメエキスポとかに行ってきても、いわゆるイケメンな人はそんなにいないんですよね。やっぱりどっちかっていうと、そんなにパッとしないような人たちが日本の文化と共鳴していて。でもそれってやっぱり日本人がそれを無意識か意識下の中に美しいと思えているから。そこにすごくポジティブな支えをもらっていると思うんですね、海外の人たちって。

Junya: やっぱり日本の中のファッションの主流な流れは海外的なものだからどこまでやれるかわからないけど、日本のカワイイカルチャーも一朝一夕なものじゃないから、そこからチャレンジできるものってまだいっぱいあるんじゃないかなって結構思うんですよね。カワイイカルチャーって、“kawaii”ってローマ字にもなっていて、結構女性が主体性を強く持った文化としてのカワイイっていうものがありつつ、そうじゃないカワイイを僕はやりたいなって思っていて。「かわいい」という言葉は、「かわいそう」から派生していると言われていて。それが、正確な意味まで引き継いでいるかはわかんないですけど、そのかわいそうっていうのも、満足いく基準に対して足りてないことに共感する、何かしてあげたいっていう気持ちじゃないですか。だからうちのルックとかは結構いつもかわいそうな感じの女の子になっているんですね。

LLLL: それは、お二方ともすごく共通している気がします。なんか、感じる悲しさみたいなもの。僕もかわいそうなものをすごく美しいと思ってしまうんです、単純に。それを「かわいい」って言葉で僕は表現したことはなかったんですけど。ただ哀愁だったり、悲哀だったり、そういうものに対する美しさは常日頃感じていて、そういうものを聴覚化したいなっていうのが一つの目標としてあるので。お二方とも、ルックブックとかで起用しているモデルさんとかにも確かにそういうものが見られるなと思って。

Junya: 僕は、そういう憐れみの感情をクリエーションに使うのは、最初罪悪感があったんですね。人に対する憐れみを持つことは自分が上だと思って見下している傲慢な行為じゃないのかと。でも、哲学者のジャン=ジャック・ルソーが、憐れみとは相手の状況を自分の問題として自分の中に取り込んで、そこで発生する感情なのだから自己の問題であり、必ずしも悪いことではないんだという内容を書いているのを読んで、やっていいことなのかもしれないなと思えたんですよね。

ファッションとテクノロジー

LLLL: もう一点聞きたいことがあって。お二方ともすごく共通してるなって思うことと、日本のファッションとも共通しているなって思うことがあるんですけど、最近LAに行ってきたりだとか、自分が帰国子女だってこともあって、日本的だなって思うことは、お二方ともクリエーションが未来を向いていると思うんです。テクノロジーであったり未来に対する先導であったり、それを作りたいっていうのをすごく感じて、それはすごく日本的だなと感じるんです。それは、Hachiさんだったら、ボーカロイドの曲を使ったコレクションであったりとか、JunyaさんだったらVRへの試みだったりとか、そういったテクノロジーであったり、未来的なものに対する美しさとか。そことファッションとをどういう風に捉えているのかなと。

例えば、日本人ってすごく直線的に時間軸を見ていると思うんですよね。過去から未来に続いているみたいな。それに対して欧米の人って、例えばヒップスター文化とかまさにそうだと思うんですけど、物語が直線的に向かっていないと思うんです。レトロフューチャーとか近いと思うんですけど、例えば古いものの良さとか、高級だったり大衆だったり、未来だったり過去だったりっていう感覚がもうグチャグチャになってるわけじゃないですか。

さっきのアナログシンセもそうだと思うんですけど、昔の方に回帰しているものがすごくあると思うんですね。例えば、欧米に行って、これは建築とかに関係してくるものだと思うんですけど、古っぽい格好っていうんですかね、ヒップスターって言われる人たちってちょっと古いようなヒゲを伸ばしてみたりタトゥーの感じが古くさかったりとか。BALMUNGとchlomaに比べたら、これは明らかに時代の流れが後ろ向きになっているというか、リニアではないと思うんですよね。

僕がすごく感じたのは、LAに行った時に、今、ジェントリフィケーションっていう問題がすごく騒がれていて、それってなんなのかっていうと、いわゆる昔の古き良き街、例えばLAだとアートディストリクトっていうのがあるんですけど、いわゆる芸術家の人たちが住んでいた街があって、そこって古くからお金のない芸術家たちがそういうところに住んでいて。そこにヒップスターとかヤッピーと言われるお金持ちの人たちがどんどん入って行って、そこが高くなってしまって。本当に貧乏だったりクリエイティブな人がいられなくなっちゃう現象があったりするんですね。

そこで面白いところは、建物や街の雰囲気はそのままで、中だけ改装しちゃうんですよね。古い建物だったり古いものに対する憧れが欧米の人ってすごく強いなって思って。例えばチャイナタウンの古めかしいアジアの感じをそのままにして、中に入るとイケイケな感じ。だけど、置いてあるオブジェとかは古い60年代みたいな感じだったりする。まあ日本で言うところの古着ですよね。その文化があったりだとか。でも日本って、どんどん壊すじゃないですか。それって地震とも関係があると思うんですけど、日本って新しいものに作り替えちゃう。ファッションと、そういった西洋の時間の考え方とお二方の未来に関するリニアな考え方ってすごく僕の中でシンクロするところがあって。どういう風に時間軸を捉えているのかな、っていうのを聞きたかったんですよね。

Junya: 完全に同じ話なんだけど、これはゴッドスコーピオンさんから聞いた話なんだけど、VRがヨーロッパで全然ウケないっていう(笑)。結構それが全てを物語っているな、みたいな。やっぱり日本って、残っているところには残っているけど、古いものが多くは失われてしまっているので。僕、古いものが苦手なんですよね、苦手っていうか信用できないんですよ。何でかっていうと、日本の古き良きっていう感覚って、現代の誰かが作った価値観だから。だって、日本の古き良きって言って、侘び寂びとかいうと、ちょっとさびれたお寺とか、全然ケバいものじゃないじゃないですか。だけど、もともとその建物は金ピカだったかもしれないし、そのケバいはずだった過去みたいなものは割となしにしているんですよね。

現代化して、現代人が摂取している、捏造されていると思うんですよね。まあ捏造されていない過去なんてないとは思うんですけど。だから、日本人らしさみたいなものも疑っているし、そもそも日本人らしさを根本まで遡れば縄文なわけじゃないですか、カオスの。その後に弥生が出てきて、かなりクリーンなスパッとした価値観があって。現代の価値観で言ったらそっちの方が日本的、現代の日本人に好まれやすい日本的だと思うんだけど。だからその、今言われている和風みたいなものは、信用していないんですよね。

LLLL: 確かに音楽に関して言っても、80年代リバイバルってもうめちゃくちゃ長い間続いていて。80年代そのものより長いんじゃないかっていう(笑)。そのぐらい長い間リバイバルが進んでいるんですけど、でも今、主に80年代のイメージを消費している人たちって、いわゆるミレニアムっていう世代の人たちで、80年代生まれの人たちなんですよね。だからもう、原風景としてないんですよね、実際のところ。だから海外にとってもファンタジーでしかないわけですよ。それってやっぱり、淡い、見たことないノスタルジアみたいな、過去は良かったのかもしれないっていう感じなのかなっていうのはありますね。

Hachi: でもなんかそのJunyaくんの話は、一方で東京からの目線かなっていう気も少ししていて。京都からの観光地そのものじゃなくて、その周辺の町とかを歩いてみたりすると、結構建物の様式とかも普通にリアルで使われているまんまで。でも、東京とかではあんまり見かけないようなものが、リアルな形で残っていたりとかで。

それと、さっきのルソーからの話で、やっぱフランスなんだなって思って。フランスと日本の近似性みたいなものはいたるところで感じていて。市民革命の国だし、市民革命とルソーは結構、ある程度直接影響し合ったらしくて。そういうところと日本人の庶民感覚、庶民性みたいな。

Junya: 割とフランスって庶民な国ですからね。

Hachi: 今世界を覆っているベースになっている、市民みたいな。まあ日本の場合の庶民とか大衆みたいなのとは違うけれども、日本は日本でそういう空気感がある。結局根っこの宗教観というか空気として、政治にまで不倫とかそういうのを持ち込んじゃったりする、一般人感覚みたいなものを全員に求めるというか。

ファッションと音楽

Junya: LLLLさんに伺いたかったんだけど、音楽の作り方とか全くわからないんで、自分の思考からどうやって音楽に変換されるのですか?

LLLL: すごくアブストラクトですね。もちろんそれは、コードをつないでいって、メロディーをつけて、リズムをつけてみたいな技術的な話になればそうなりますけど、もっと根幹的な、何が音楽になっているのかって言われると自分でもわからないですね。無意識だと思います、正直言うと。逆に意識しちゃうともうそれは偽物かなって思う部分もあって。もちろん仕事では意識していますけど、本当に自分のアートって言えるものは、意識下の中にあるものじゃないのかなって最近思っていますね。だから何も考えないようにしていて。作る時は本当に何も考えないようにしています、こうなろうとか、こうしようとか。

Hachi: ファッションは非常に言語的っていうか、そこは音楽との決定的な違いというか。ファッションの場合、他人の力を借りて最大限にアグレッシブになると思うので。一人だけで最大打点は出せないというか、背景を借りて最大打点に達するみたいなところがあって。でも多分音楽は聞くタイミングによって違う部分はあるとは思うんですけど、多分その個人の力がやっぱり比重として大きいんですよね。

LLLL: 売れる売れないっていうのはまた別になってくるんですけど、音楽作るってなるとそうかもしれないですね。なんかこう、言語化しちゃうと他者ってすごく入ってきちゃうじゃないですか。言葉っていうかコンセプトにしたら他者のものだし、言語って他者のものだし。

Junya: ファッションってもちろん音楽の中にも色濃く存在していると思っていて。僕の中でのファッションの定義って、何の横に自分が存在するかを決めるみたいなところだと思っていて。例えば音楽だったら、自分の音楽の隣にこういう写真を置きたい、とか。まあそれがジャケットになるんだけど。ファッションは洋服って捉えられがちだけど、音楽にも色濃くあると思っていて。じゃあ自分の作った音楽にやっぱりビジュアルつけるわけじゃないですか。そういう時って、LLLLさんはどう考えられているのかなって。

LLLL: うーん、葛藤ですよね。やっぱり本当に純粋なものは音のみだと思うんですよ。正直。

Junya: ビジュアルをつけないで済むんだったらつけたくないぐらい?

LLLL: そうですね、正直言うとそうかもしれない。音楽の隣に何を置くのかみたいな概念ってすごく昔からあって。でも僕は音楽を主体に置きたいです。というのも、僕の音楽は質感は近いけどアンビアントミュージックではないと思っていて。あまり僕は横に何かいるっていうことを考えたくないです。例えば、エリック・サティのように、この椅子と合うこういう音楽ですとか、ブライアン・イーノみたいに空港のための音楽です、とか。そういうものを表現したいわけではないんですよね。

Junya: じゃあ可能な限りファッション性は帯びたくない?

LLLL: それは正直ありますね。なんかこう、オシャレって思われたくないっていうのは昔からすごく思っています。

Junya: その辺の潔癖さはめちゃくちゃ感じますね(笑)。ファッションに絡め取られたくない?

LLLL: でもファッションの仕事すごく好きだし、自分の個人的な仕事でも、商業的な仕事でも。自分だったらこういう服にこういう音あてるなって常日頃やっぱり思うし。何らかの思い入れはあるんですけど、ただ自分が純粋に芸術としてクリエーションしたいものがこの服と結びつけられたらな、とかは絶対に思わないです。

Junya: なるほどね。LLLLさんのそういう話もっと聞いてみたいなあ。結構違う人生を歩んでいるとは思うけど、割と好きなものが根幹の感覚で近いような気がして。

LLLL: 感覚は近いと思いますね、それはすごく感じる。三人とも感覚は近いと思うんですよ。

Hachi: どこかしこに解像度のやたら高い切り刻みの多い部分をどこかに持っているところが、三人ともそれぞれ共通するところがめっちゃ多いと思います。出している場所は結構違うと思うんですけど。

Junya: まあ、僕が一番言いたいのは、日本人だからできる、多様性、ダイバーシティを見つけていかなきゃいけないってことです。これが、僕が今日一番言いたかったことです。

Hachi: そこらへんに帰結する感じはあるよね。

Junya: ファッションを買うことによって、マウンティングするためのファッションじゃなくて、人より上に立ちたいからの装いじゃなくて、単純に異なることを楽しむことであったり、欠点を楽しめるようにできたらいいなと思います。人の上に立つためにファッションを買うんじゃなくて。

Main Visual by chloma

(2017.9.8、青山にて)

企画: LLLL + UNCANNY

構成: T_L

アシスタント: 黒澤佳奈
1997年生まれ、埼玉県出身。青山学院大学総合文化政策学部在籍。