ARTIST:

Disclosure

TITLE:
Caracal
RELEASE DATE:
2015/9/25
LABEL:
PMR / Island
FIND IT AT:
Amazon, iTunes, Apple Music
REVIEWSNovember/03/2015

[Review] Disclosure | Caracal

 2013年に大きな話題を集めた『Settle』の発売から約2年3ヶ月、2015年9月25日にDisclosureの新作『Caracal』がリリースされた。すでに発売から2ヶ月が経過し、チャートの結果、および各メディアの評価も概ね出揃っている。

 発売から2ヶ月の各メディアの評価を見ると、「悪くはないが面白みには欠ける」(Pitchfork)、「リスクを避けたアルバム」(The Guardian)、「ゲストありき」(同じく、The Guardian)といった、一言で言えば可もなく不可もなくという評価である。「悪くはない、しかし…」と留保したくなるのは、『Settle』以降、前作から約2年3ヶ月を経た彼らへの大きな期待への裏返しでもある。しかし、彼らは何を期待されていたのだろうか?

 彼らは今作に関連して幾つかインタビューに応じている。期待と成果に関していうと、Redbullのインタビューで、アルバムに収録された”Jaded”という曲について、成功することに囚われてヒット作が出せなくなることを恐れ、名義だけを貸してリスクを回避するプロデューサーを批判してもいる。あるいは、自分が書いてヒットしなかった場合のそのプロデューサー自身への心理的負荷を回避するため、といってもよいのかもしれない。ヒットしなかったとしても、「これは自分の作品ではない」ということによって。

 このような批判は彼らDisclosureのプロデューサーとしての自己規定が強固である分、自分たちが引き受けるべき評価と心理的負荷として帰ってくるはずである。例えば「ゲストありき」と批判されるようなアーティストをフィーチャーするのは、彼らのリスク回避策ではないのか、と。

 彼らへの期待はもちろん「無難な作品」であるはずがない。もちろんチャートを見れば、今作も十分に成功している。個々の作品は危なげなく、聴いていて心地よく時間が過ぎる。それは決して悪くはないどころか、かなり質の高いものだ。しかし、彼らにはそういったものが期待されていたのではなかった。「悪くはないが、しかし……」、という評価自体は、収録されている曲を聴くと確かに否定しがたい。期待とは違ったものだった、期待外れということではない。もちろん質の高い仕事なのだが、その仕事振りには、裏切られる部分がほとんどと言っていいほどない。

 彼らは、「僕たちは絶対に曲を書いてから誰かに送ってそれを歌わせるということはしない」、「命令はしたくない」という。そのために、各アーティストとの綿密な意見交換を経て制作しているということを強調している。しかし、成功した現在の彼らとの意見交換は、ソフトな命令として作用するかもしれない。そして、その結果を「Disclosureらしさ」として肯定的に評価することは、彼ら自身の望むところでもないし、期待もそこにはなかった。

 さてここで、Lordeをフィーチャーした”Magnets”について、MVを含めて注目しておきたい。MVの舞台は、とある経済的成功者たちのパーティー。それに飽き飽きし、屋外のプールからその様子を睨みつけるように歩きながら歌うLordeと、パーティーの主催者と思しき男の目が合う。不倫をする。男もまた、その生活は充足し、成功者でありながら、どこか飽き飽きとしている。家庭では暴力を振るい、パートナーの顔にあざのようなものが見える箇所もある。最終的には、パートナーとLordeは結託し、椅子に縛り付けられた男を、最初に出会ったプールに投げ入れ火を放つ。

 この曲では、DisclosureとLordeの能力は拮抗しており、「意見交換」や「ソフトな命令」によって、Lordeの個性が消されることもなく、曲もどこか若々しさを保ち、Disclosureの能力も活きているように思える。Disclosureはそれほどに才能があり技術もあり、それに対して資本が投下され、成功もしている。このこと自体、相当に難しいはずなのだが、Disclosureはなんなくこなしているように見えてしまう。だからこそ、より「裏切られること」を期待されてしまうのだろう。

 アートワークには、アルバムタイトルにもなったカラカルという、インドやアフリカなどに生息する猫を選んでいる。「大きく尖った耳と、その先端に生えたアンテナのような長い毛をもち、聴覚に優れた夜行性のこの猫が、視覚的なイメージとしてのこのアルバムにぴったりだった」(BBC Newsbeat – YouTube)という。

 Disclosureが果たしてこの先、カラカル以上に姿を隠し、なお音楽活動を続けるとしたらどうだろう。極端に言えば、彼らが批判する名義を貸すプロデューサーの発注を受け、「結果として働くような命令」すら回避し、間接的に完璧な曲を作り続けるような存在になるのか。そうではないとしても、次作にはまた、「期待を裏切る」ような「意外な作品」が期待されることになる。ポップでありつづけることとは、「若さ」や「アドレッセンス」と結びつき、「老成」と「円熟」を好まないというのは、もとより当然のことではあるのだが。

文・小林香織
1994年生まれ。青山学院大学総合文化政策学部在籍。インディ、ポップ、アメリカのカルチャーなどを担当。