ARTIST:

Factory Floor

TITLE:
Factory Floor
RELEASE DATE:
2013/9/11
LABEL:
DFA / P-Vine
FIND IT AT:
Amazon /
REVIEWSNovember/05/2013

【Review】Factory Floor | Factory Floor

 名は体を表すと言うが、工場の冷たい床とダンスフロアの陶酔を同時に連想させるこのバンドの名は、彼らの音楽性を最も実直に表した言葉であるだろう。Factory とは「Death Factory」、つまり彼らがThrobbing Gristle直系のインダストリアルの子孫であることを端的に表しており、それがダンスフロアの熱狂と官能に結びついた先に<ポスト・インダストリアル>というべき彼らの音楽が立ち現れる。

 本作から2ndシングルとしてリリースされた「Fall Back」は、Sonic Youthのキム・ゴードンを特殊処理したようなニック・コルク・ヴォイドの気怠く官能的な女性ボーカル、アシッド・ハウスフィーリングを醸しながらミニマルに刻まれるハイハットとキック、ポストパンク的なパーカッション、Hardfloorのような扇情的な展開など、アシッドハウス、ミニマルテクノ、ポストパンクなどを多層的に織り込みながら、インダストリアルの美学で纏め上げた秀逸なトラックだ。デビュー・アルバムである本作によって、彼らの音楽は明確にダンサブルなインダストリアルを人力で再現する方向性へと舵を切ったが、それは正解だったと言えよう。アンダーグラウンドな世界では、〈Modern Love〉〈Blackest Ever Black〉からは暗黒系、〈Software〉〈Fade to Mind〉からは新たなインダストリアルと呼べそうな音楽が次々現れ、Kanye Westすらもインダストリアルな感触に溢れた新作を発表した現在、<ポスト・インダストリアル>が徐々に浮上しつつある。アシッドハウス・リバイバルの機運にも上手く乗りながら、今までよりもダンスフロアを意識した彼らの音楽は、現在においては最もエッジの効いた<ポスト・インダストリアル>として聴かれるはずだ。

 〈DFA〉からのリリースとなった本作は、本作以前のEPから窺えるスリリングで衝動的、陰鬱なノイズに彩られていたスタイルからは、より取っ付きやすいインダストリアル・サウンドに舵を切ったものだが、レーベル側とのやり取り如何に関わらず、それは単純なバンドの軟化を意味するものではない。かつて、Factory Floorの影響源でもあるNew Orderは、イアン・カーティスの死後、イタロディスコと出会いJoy Divisionの憂鬱をわざとバカになることで乗り越えようとしたが、彼らの選択はより戦略的なものであろう。ジェイムズ・マーフィーのもと、ロックにダンスフロアの奔放性、実験性を蘇らせ、エッジの効いたダンスロックを作り上げたレーベルからのリリースは、その選択も含め吉と出たと言える。Throbbing Gristleのメンバー各自、バンドの解散後はアシッドハウスやテクノに走ったように、元からインダストリアルとダンスフロアの距離は近い。「How You Say」といったトラックは、Chris & Coseyのインダストリアルな音響実験と、ミニマルテクノ、ディスコの幸福な融合である(ちなみにニック・コルク・ヴォイドは、Chris & Coseyのメンバーと共に、Carter Tutti Voidとしてもアルバムをリリースしている)。

 また、彼らの音楽は今まで見てきたように、様々な音楽を参照しながら語ることが比較的容易に出来るものだが、それは単なるリバイバルを意味する訳でもない。もとより現在の音楽について考えるとき、常に問題となるのはまた過去である。ポスト・モダン的状況の到来、それに連なるインターネットの登場、情報化社会への移行といった流れによって、かつてほどの強固な物語性は無くなってきている。しかし、歴史が融解しデータベース化されたアーカイブとして我々の目の前に表れてくる過去の音楽は、あえて完全に無視することも可能とはいえ、参照ゼロだと言いきってしまうこともナンセンスだし、不可能な存在として、現在の音楽には元から組み込まれている。オリジナルと本質的には変わらないコピーのコピーであるシミュラークルが横溢する現在の社会においては、文脈次第で所謂パクリも単純な盗作とは言い切れなくなることは、数々のサンプリング・ミュージック、ポピュラー・ミュージックの事例が物語っている通りだ。常に過去の音楽との距離感がその音楽の生命、輝きを決定する。さまざまな文脈が複雑に交錯し合い、音楽の価値を形成する現代において、音楽的価値は単純にオリジナリティだけに宿るものなのであろうか。また、真のオリジナリティとは何なのだろうか。

 そんな状況においてFactory Floorの音楽は、ある1つの道を提示し得る可能性に満ちたものとして聴く事も出来る。彼らの音楽は、過去と現在が相互に複雑な関係を描き続ける<現在>という瞬間を見事に切り取り、批評的な視点から再構築したものである。現在の音楽状況を見つめる冷徹な視線と、音楽を巡る意識という2つの位相から、彼らの音楽は構築されている。彼らは意図的に過去の音楽を参照し、それを軽やかに扱い、オリジナルとコピーの軽重を翻弄するような不気味ながらも、それ故に魅惑的な音楽を創造する。そして、単純にそこには、今までよく見知っていたと思っていたものが、不意に思わぬ組み合わせによって、新鮮な聴取体験をもたらす面白みが詰まっているのだ。ニック・コルク・ヴォイドの声1つを取っても、それは時にはThrobbing Gristleのノイズの海の中で不意に立ち現れる不気味な囁きとして、時にはジョルジオ・モロダーの魅惑的なディスコの幻想へ導く歌い手として我々の耳に響く。インダストリアル、アシッドハウスという機械的な音楽を、徹底的に人力によって再現し、しかしその姿はハードミニマルに肉薄する非人間的な強迫感に変換されて為されるという一種の捻じれた関係が、新鮮な聴取をもたらしている点もあるかもしれない。

 <ポスト・インダストリアル>の波は近い。そして、またそれは、チルウェイヴの夢想的世界観が裏返しの表象だったように、ディストピアで残酷なこの世界の切断面をそのまま表象した世界観の反映であり、チルアウトの裏面となるものであろう。

文:宮下瑠
1992年生まれ。UNCANNY編集部員。得意分野は、洋楽・邦楽問わずアンダーグラウンドから最新インディーズまで。青山学院大学総合文化政策学部在籍。