ARTIST:

Oneohtrix Point Never

TITLE:
R Plus Seven
RELEASE DATE:
2013/9/21
LABEL:
Warp/Beat Records
FIND IT AT:
Amazon / iTunes
REVIEWSOctober/17/2013

【Review】Oneohtrix Point Never | R Plus Seven

 アカデミックな実験音楽も、資本主義の倫理に則って流通、生産されるポップミュージックも全てが等価となり、インターネット上の情報の蓄積が誰でもアクセス可能な可視化されたアーカイブとして機能し、飽和しきった情報の中での取捨選択が現実として再構築される状況―そんな状況は何十年も前から訪れていたし、ポストモダンの実相云々を扱う言説は数多くあった。しかし、今作以上にそのことを「耳」を以て実感したアルバムは正直、無かったかもしれない。ここにはシュトックハウゼン以降の電子音楽の歴史、ミニマリズム、アンビエント~ノイズ/ドローン、グリッチ、スカム、IDM、ニューエイジ、辺境音楽、アンビエントの起源としてのエリック・サティなどのクラシック、それをさらに遡った教会音楽など、あらゆる音楽的要素、感触が「耳」を以て等価になり得る現在の状況が克明に写しだされ、それらを統括するような批評的な視点が感じられる。
 
 アルバムは重々しい通奏低音による幕開けから始まる。「Boring Angel」は、カットアップによってズタズタにされた聖歌隊による讃美歌、「Americans」はニューエイジ的な楽園の甘美、強迫的ミニマリズム、グレゴリオ聖歌の崇高な美、アンビエント~ノイズ/ドローンの奔流など、物凄い情報量がカットアップによって圧縮された楽曲、「He She」は辺境音楽の呪術的カットアップと、本作におけるミュージック・コンクレート的手法はより混沌と洗練の一途を辿っている。一聴すると混沌とした部分も、Oneohtrix Point Never(以下OPN)の美意識に満ちた秩序に支配されており、この3曲だけを聴いても、OPNの進化は恐るべき段階にまで進んでいることが容易に理解できるだろう。そして、アンビエント~ノイズ/ドローンに塗れた久石譲のような「Along」までの前半がミュージック・コンクレート寄りだったのに対し、後半はテクノ寄りの方向に進んでいく。「Problem Areas」はFenneszを通過した初期WarpのIDMのような趣を持ち、「Cryo」は現代版の『Fourth World Vol 1 Possible Musics』といった様相を呈す。様々な音楽的要素が換骨奪胎され至る所に顔を見せるが、『Returnal』『Replica』と比較すると全体を通してコンセプチュアルな色彩が強く、一貫して宗教的な重々しさがある。そこには『Insturumental Tourist』で共作経験のあるTim Heckerの重々しさと共通した雰囲気があるかもしれない。終曲の「Chrome Country」は、クライマックスにふさわしいカタルシスに満ちたOPN流の教会音楽である。

 音楽の歴史に関して批評的な視点から、前衛的作品を作り上げるアーティストは今までにも数多くいた。OPNの音楽の要であるミュージック・コンクレート、ノイズ/ドローンも、起源を辿れば20世紀に端を発する手法である。しかし、今作で一番驚くべきことはその前衛性よりも、はるかに今までのアルバムと比べると、ポップな感触に溢れているということであろう。本作のリリース元が〈Editions Mego〉から〈Warp〉に変わったのはとても象徴的な出来事ではないか。かつての「前衛」「実験」が、本格的にポップミュージックと等価になってしまった現在、そんな時代を象徴する上でOPNは絶対に外せないアーティストであろう。

 その足跡、状況の変化を辿ると、視点はより明確になるかもしれない。Oneohtrix Point Neverという名前の由来を「歯医者に行くとよく耳にするラジオ局。Magic 106.7。『ボストンのひっきりなしのソフトロック』から取ったシャレ。歯を削られる音とソフトロックが合わさった時のサウンドがOPNというプロジェクトのインスピレイションになったんだ」(注1)と語った彼のユーモア精神、YouTube及びVimeoからの削除、その後の公式ホームページへの移転という一連の騒動を巻き起こした露悪的な「Still Life(Beatamale)」のPVに見られる過剰性といった側面から、周囲が推測する彼のキャラクターは、世間の倫理と隔絶し周囲の困惑を楽しむかのようなトリックスター的性格だろう。カセットテープやCD-Rによる超限定的な流通形態が主流のUSアンダーグラウンドの文脈から現れた時点では、ポップミュージックのフィールドからあえて距離をおくような姿勢も感じられた。しかし、編集盤『Rifts』~『Returnal』『Replica』のリリース後、ここ数年で一気に浮上してきたような彼を取り巻く状況の変化は、時代的な要請であり、彼の音楽がポップミュージックとしても流通し得る証明でもあった。そして、それは結局の所、彼自身が最も望んでいたことだったように感じられる。彼自身、敬意を表明するダーロン・アロノフスキーの映画(デビュー作『π(パイ)』のサントラにはAphex TwinやAutechre、Orbitalが参加した過去がある)ではなく、ソフィア・コッポラの最新作『The Bling Ring』のスコアによって、近々映画界にデビューを果たす現在の状況も何とも象徴的だとは言えないだろうか。タケシ・ムラタといったメディア・アート系の芸術家との交流においても、角張った前衛的な振舞はなく、良い意味での軽さが感じられる。彼はこの状況を弄び、大いに楽しんでいるように思える。

 OPNの活動は新たな局面に入った。その姿は、今までの道程の集大成的な側面と、断絶している側面のふたつとなって本作には刻まれている。本作でも前作、前々作同様、ミュージック・コンクレートは文脈を壊乱しつつあらゆる音楽を繋げ、イメージの奔流を生み出す重要な手法であり、本作はその集大成であり、ひとつの到達点でもある。しかし、それ以上に今作で注目すべきは、メロディの復活だ。前衛もポップも等価になった現代と、全ての音響現象を同列に扱い再構築するミュージック・コンクレート的手法は、どちらもポストモダン的欲望に駆動されている。歴史的視点は無化され、時間は止まってしまった。シニカルな視点しか獲得できなかった我々に残された道はあるのだろうか。しかし、OPNはそこで立ち止まらず、止まった時計の針を進めるがごとく、あえてメロディに立ち帰ったのではないだろうか。ポストモダン的方法論を熟知していた故に、逆説的にその限界すらも早い段階で見えていたのかもしれない。それはある意味、既に動かしようがない時計の針をあえて進めようとする、そうせざるを得ない悲劇的あるいは滑稽な行為である。しかし、本作の美しさは、そこにこそ宿っていると言えよう。

 この流れが最終的にはどこに辿り着くのか、答えは未だに誰にも分からない。いや、そもそも答えなど最初から無いのかもしれない。もはや世界に外部は存在しないことは自明であり、超越的な視点など持ちようがないのだから。しかし、OPNの活動を注視し続けること、それだけは私たちにも可能なことである。

*注1 『ele-king vol.1』(メディア総合研究所、2011)「ありうべきアンビエント ワンオウトリックス・ポイント・ネヴァー インタビュー」(インタビュー・文:三田格) 60頁より

文:宮下瑠
1992年生まれ。UNCANNY編集部員。得意分野は、洋楽・邦楽問わずアンダーグラウンドから最新インディーズまで。青山学院大学総合文化政策学部在籍。